戦国時代の甲斐の国守武田勝頼公の最期が変わってる
記憶だとまず新府城ついで要害山城で烈しく戦うも 
家臣の相次ぐ裏切りでそこが保持出来ず岩殿山城を目指すが
今度は重臣小山田信茂が裏切り天目山の急造砦に逃げ込む
天目山棲雲寺の近くの急造の砦に立て篭もりそこで烈しく戦い討ち死にして
「信長に首は渡さん」
という事で最早鉄砲を撃つ兵士もなく大量に火薬だけが残った火薬庫に火をつけて
嫡男信勝と共に自刃した為に御首級も武田家由来の名物や鎧兜も焼け焦げ何も残らず
この為に信長は実は甲斐の領民が密かに匿い勝頼がまだ生きて居る事を疑い
甲斐周辺で徹底的な武田の残党狩りを実行してたし虐殺もおきた記憶

でも今の歴史だと急造の砦は作られず田野で烈しく戦うも
割りあっさり討ち死にしてしまい嫡男ともども御首級が織田方にわたり
京都で晒されているね
このおかげで織田方の徹底した武田残党狩りも行われなかった事になっているし
甲斐の領民も織田方に協力するものが多く
甲斐や信濃で領民の虐殺は行わなかった歴史に変わっている

最近大河ドラマの影響で注目を集めていた部分の歴史が変わったという事になるので
以前、武田勝頼公最期の砦遺跡
(砦跡としか史書に残っていない為に天目山の砦遺跡とよばれていた)
に行った時は爆死した歴史だったから地形に痕跡が残る程の大爆発で
兵士さえいたらまだまだ戦えたという考察に妙に納得したけどね

何にしろ甲斐や信濃で領民の大規模な虐殺がおきなくなって良かったと思う