戦国時代の越前朝倉氏の一乗谷はもっと大規模で大勢の人骨が発掘されていた記憶
一乗谷の人口は滅亡時の推定で少なくとも3万人で
全盛期にはもっと多くて5万人以上とも推定されていた
織田信長の焼き討ち攻撃で滅亡した時にも
まさか朝倉氏が負けてこんなに早く織田勢が攻めてくるとは思っていなかった為に
住民の多くが逃げ遅れ数千人が谷に閉じ込められてしまい皆殺しにされて
平成になってから本格的に発掘調査をしたところ
一乗谷全体で刀や鉄砲で出来た傷のある焼け焦げた人骨が
数百人単位であっちこっちから発掘された上に掘っても掘っても出てくる有様だった
海外からも日本のポンペイと言われ注目されるくらいの状況で
2015年頃には一乗谷滅亡の時の様子をNHKで詳しく映像化してた
そこでも虐殺の被害あったと思われる刀や鉄砲の傷がある焼け焦げた人骨の事は
詳しく映像付きで説明してた
また一乗谷周辺は昔から心霊スポットとして有名だったし
江戸時代の文献に永平寺で修行した若い僧侶が一乗谷に迷い込み
幽霊寺に泊まり夏なのに生気を奪われ凍死したという怪談が残っていた

大規模発掘調査の途中くらいに地元福井の有志が立ち上がり
永平寺や心月寺の協力で毎年8月に大規模な供養祭が行われていた記憶だね

今の事実では一乗谷で大虐殺は無かった事になっているし
一乗谷もだいぶ小規模であり当時の住民の多くは
織田勢が攻めてくる前に一乗谷から脱出できたので焼き討ち時には
ゴーストタウン状態だったという事になっている
発掘の状況も記憶より小規模でこつこつ発掘調査していたという事になってて
きっと過去の歴史から害悪連中が劣化弱体化され消去消滅処分され消えたので
多くの人達が朝倉氏の滅亡に巻き込まれず
無事に谷から脱出できたというふうに歴史が改変されたという事だろう