保津川は、別名、大堰(おおい)川ともよばれてました。 5世紀以降に、大陸から帰化した秦氏が、嵯峨野の太秦付近の川にダム(堰・いせきと読む)をつくった事に由来します。 保津川は、この上流域にあるため、こういう別名がつきました。