>>687
何故なら真実は以下の如くであり、あなたは理解する
すなわち魂は「生きている」か「生かされている」かなのです
もし魂それ自体が生命であるなら、魂は他の何物かを「生かしめている」のです
(ちょうど運動が自らではなく他を動かすように)
その状態で魂が生きていることを否定するものは誰もいない
しかしもし魂が生きているとしても、それそのもの自体で生きているのではなく
生命に参与して生きているのです
しかし「参与するもの」は「参与されるもの」とは別である
そして魂は、神が魂の生きるのを望まれるが故に、生命に参与しているのである
したがって魂は神がそう望まなければ生命への参与をやめるでしょう
何故なら生きるということは魂に備わった属性ではないからです
しかし人がいつまでも生きないように、体は魂に永遠には結びつかない
この両者の調和が解消されねばならない時、魂は体を離れ、その人間はもはや存在しなくなる
   ユダヤ人トリュフォンとの対話序文