人の思いが視えない因果という真実が見得にくい現世では
時間は救いでありながら迷いを生む

どこまで自分の基本精神を本質的に確かめ切れているかが命?
生前の釈迦教団の修行とは、そこに主眼が置かれていたみたいだ
八正道によって、そして価値判断を磨いていく

そして反省瞑想によって因果を見極め因果を正していく

それが神を確かめて近づいていく道?