<日月神示 天つ巻 第八帖>

 あらし(嵐)の中の捨小船と申してあるが、
今その通りとなりて居ろうがな、何うすることも出来まいがな、
船頭どの、苦しい時の神頼みでもよいぞ、
神まつりて呉れよ、神にまつはりて呉れよ、
神はそれを待ってゐるのざぞ、それでもせぬよりはましぞ、
そこに光あらはれるぞ。光現はれると道はハッキリと判りて来るのぞ、
この方(エル:日月神示に登場する”この方””てんし”などの
一人称的(主人公)な言われ方をするのは私を指している)に
だまされたと思うて、言ふ通りにして見なされ、
自分でもビックリする様に結構が出来てるのにビックリするぞ。
富士の御山に腰かけて、この方 世界中まもるぞ。
かのととり、結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ。
天から人が降る、人が天に昇ること、昇り降りでいそがしくなるぞ。
てんし様 御遷(うつ)り願ふ時近づいて来たぞよ。
奥山に紅葉(もみじ)ある内にと思へども、
いつまで紅葉ないぞ。九月の二日、ひつく。