消息不明とされる南朝の系譜
後醍醐天皇が最も信頼を置いた征夷大将軍でもある護良親王は
教科書的正史に於いて
副将軍足利直義に中先代の乱首謀者の嫌疑を掛けられ
長期幽閉の後に斬首された
実際には潜伏隠居の後に密かに小舟に乗り
福岡あるいは長崎から南宋に渡航
そして陸路シルクロードを数年掛けて移動しして欧州に到達していたのである