>神のご用に使う程の者は、我があり過ぎても無さ過ぎても困る
コラポの暇空
創作大好き
表現の規制に火の粉を飛ばしてきたタコがいたからあそこまで動いている
事実、有能でだれもしなかったできなかったことを一人で動かしている

こう言う人間こそ、我があり過ぎることもなく、無さすぎることも無い
人間的な欲求の動機でありながら、自分だけが得する動機でない
誰かのための動機でありながら自分のための動機である

彼が神の御用かどうかというのはクソほどどうでもいい
こういうことだよね〜って思うわ〜
どっかのようわからんコンプレックスで、我が無さ過ぎてあり過ぎる人間と違って
こういうことだよね〜ってかんじ〜

一方で
誰かのためと言いながら自分のため
自分のためと言いながら、だれの為にならん
自分が得するように見える?がだれが得をする?

話を戻して
神(霊)が使いやすい人間ってのはこういうかんじの人間でしょうね
神(霊)に使われない人間がすることはたかが知れてるね

使われない人間のすることは、火を感じないよね
熱がないよね、温度が低いよね、だから反応が起きないよね
人体の60%の水程度が出せる出力の限界だよね
どこかさみしいね

使われる人間のすることは、火を感じるね
熱があるね、温度が高いね、反応が凄く広がるね
火と水合わさって最強に見えるね〜(笑)
あなた方が大好きないやさかだねわら

弥栄大好きなあなた方の割に火と水の合わせ技が産まれないところにジレンマがあるね
霊に傾倒しすぎなんだろうね
何かをしたいわけでなく、間違えたくないってだけのつまらない人間なんだよね(チェンソーマン風)

間違えたくない人に面白いことはできないよね
間違えないように気を付けて生きて、うんそれが正しいって、自分をこっち側って思えるね
良かったね〜