以下にあるように霊が憑依するのではなく人が霊に対して感応する現われということです。
考えてみた場合、これは霊だけではなく、人と接する場合も同様ではないでしょうか。
「他人は自分を映す鏡」と言われるように、その人を見て悪と見るも善と見るもそれはあなたが感応した結果であってその人の本質ではないと言えます。
確かに人には善の部分もあれば悪の部分もありますが、その人と応じる時にその人の善い所を捉えて接するのと、悪い部分のみを捉えて接するのでは結果は全く異なります。
これは人だけではなく世の中の事象の全てにも当て嵌まるでしょう。
そしてこれは神様と相対する時も同じです、自分の心の鏡を神様の心に感応させることが出来るかと言う事です。

ひふみ神示 第十七巻 二日んの巻(ジシンの巻)
第十二帖 (三八九)
霊人も地上人も、自分自身と語り、自分自身の中に見、且つ聞いているのである。霊人が地上人に憑依したり、動物霊が人間に憑依したりすることは、前記の如き原則によってあり得ないのである。しかし、外部からの感応であり、仲介された二次的交流であっても、その度の強くなった場合、地上人から見れば憑依せると同様の結果を現わすものである。