磐長姫命がお投げになった御鏡は龍房山の木に掛かり昼も白く輝いていた為に麓の村を白見(しろみ)と読んでいたが、
後にその御鏡が白銀鏡であることが分かり、いつの時からか銀鏡(しろみ)と言われるようになり現在に至ります。