日本に政治的社会が形成された時、分立する諸小国の君主がいち早く中国王朝の権威を背景として、自己の政治的権威を確立しようとしたことは、
既に紀元1世紀の北九州の一小国が、後漢王朝に遣使朝貢したことに示されていて、その歴史的遺物が、かの志賀島から発見された金印である。
また邪馬台国を都とする倭国の女王卑弥呼が魏の皇帝から「親魏倭王」に封ぜられ、金印紫綬を与えられたことは、卑弥呼が魏の皇帝と君臣関係を結び、中国皇帝の臣となって、その庇護を受けたことを示すものである。