徳というものは、目に見えるものではない。
しかし、有徳の天子ならば、その徳は「礼」を知らぬ夷狄にまで感得されて、彼らは天子の徳を慕って中国に来貢する。
これが慕化来朝である。
夷狄の来朝が多ければ多いほど、その夷狄が遠方であればあるほど、それらは目に見えない天子の徳の高さを示すバロメーターである。
そしてそのことが、中国の人民に対する権威の源泉となる。