そもそもアニメキャラに恋愛感情が発生してる時点で、
「唯物論者ですらない」
のだよ。
肯定派が自然や伝統宗教に感じていた「存在」というものを、
人工物やサブカルチャーに感じてしまうにまで至ってしまった。
そう。我々にとってはアニメキャラのほうが「いる」。
そしてアニメキャラを脳内に叩き込み続けてた結果、
「見える」段階にまで至った。
そう。「存在」を感じる対象そのものが、
自然から人工物に変わりつつあるのだよ。
そして思考回路の基準点が自然や命を守ることではなく、
文明や科学技術を発展させることに変わりつつもある。
これこそ肯定派が危惧していた「終わり」ではないか。
宗教のコペルニクス的転回。
独裁的な神仏に対する革命。
崇拝の対象を自然から人工物に切り替える。
そうすることにより人類は思考回路のリミッターを壊し、
いつまででも科学を発展させ、
人類の方が自然をねじ伏せる事が出来るようになる。
多分それがクロウリーが思い描いた未来だろうな。