>>162
極端な言い方をすれば、右と左や上下がどちらかは誰でもわかるだろう?
そのようにして自分の認識の中で解ることを増やしていく、明確に納得することを増やしていくこと
例えば「神」は?なんてことは考えても知り得ようも無い、日常から自分なりに価値がわかることを
確かめていく「これは何?あれは何?」と。自分が解らない聞き返されても答えられなければ嘘とすること
分かっていれば如何様にも説明し直せる、右とは多くの人が箸を持つ手の方とか、上とは空の方とかね

おれが>>148に近いことを思ったのは5歳か6歳の時、何も知らないし解らないはずだった
早生まれで学校の勉強はまるで解らず、小学一年二年と教師にいじめ抜かれていた時