その後も表面上の破門、禁止にもかかわらず「フラムの子ら」のメンバーに加入した後にカトリックの主要な地位に上った者たちの数は多い。 ピオ4世は「フラムの子ら」のメンバーとして立証できる最初の法王である。エジプトのグランドオリエントの公式文書に1839年8月15日に彼がマスターメーソンの儀式を受けたとの記録がある。メディチ家の教皇である彼の命令でミケランジェロはポルタ・ピア(ローマの市門。もちろん偶像で飾り立てられている。普通の市門は外に正面を向けているが、この市門は市内側に正面を向けている)等を造った。