ナポレオンは、敵国の連合軍によって彼のヨーロッパにおける地位が粉々に砕かれるのを見たとき、教皇を釈放した。釈放されたピオ7世が最初にした仕事は、イエズス会の復興であった。教皇捕囚の期問、カトリック教会を支配したのは「フラムの子ら」であった。
 この間、カトリック内で彼らはバチカンの公文書保管所をパリに移転した。この公文書保管所で知り得たカトリックの多くの重大な秘密を、彼らはすぐには公表しなかった。これらの秘密を教会への恐喝のために保管し、最大の効果を発揮する時に小出しに発表するためである。