フランス革命以来、イエズス会は各地で政治に参与し、カトリックの絶対主義に抵抗した。しかし、そのためにスペイン、ポルトガル、フランスの諸国はイエズス会を次々に追放し、フランスのブルボン家と、オーストリアやスペインのハプスブルク家の諸侯は、ローマ教皇クレメンス14世にイエズス会を抹殺するように迫った。クレメンス14世ははじめ、諸国の圧力に屈せずイエズス会弾圧に慎重な姿勢を見せていたが、欧州諸国と教会との関係を悪化させてはならないという観点から、これらの要請に抵抗できなくなり、教皇への絶対的服従を誓願の一つとしているイエズス会に、1773年7月21日、「教会の平和のために、親しい者でさえ犠牲にしなくてはならない」との書簡をもって解散を命じた。