ジェームズ1世の子のチャールズ1世も「王権神授説」に基づいてピューリタンを弾圧し、それに反対するピューリタン派が集まって制定したのが「ウエストミンスター信仰告白」である。その後、オリヴァー・クロムウェルによって共和制が樹立され、チャールズ1世は斬首された。これが清教徒革命である。しかし、ピューリタンはあまりに厳格な社会生活を国民に規制したため、国民の反感を買い、チャールズ2世による王制復古となる。以後、英国教会はピューリタンと一線を画することになる。