これに呼応してイギリスのカトリック教徒は、スコットランドから亡命していた女王メアリー・スチュアート(フェリペ2世の姪)を擁立することを企てた。これに対しエリザベスは、メアリー・スチュアートを他のカトリック教徒と共に処刑した。ここにイギリスとスペインの間に戦争が勃発。結果は、スペインの無敵艦隊がイギリス海峡で惨敗した。こうしてイギリスにエリザベス時代が現出することになる。カンタベリーの監督ホイットギフトは国内のピューリタンを弾圧したが、かえってピューリタンの数は増えて、エリザベス朝の末期には英国のプロテスタントの3/4がピューリタンであったと言われる。