一応、これがこちらの世界の歴史です。
太平洋戦争
戦争:第二次世界大戦
年月日:1941年12月8日(日本時間)– 1945年9月2日(または8月15日)[注 1]
場所:太平洋(ミクロネシア、メラネシア)、北東アジア、東南アジア、オセアニア、インド洋、アフリカ(マダガスカル)、アリューシャン諸島
結果:連合国の勝利。ポツダム宣言受諾による日本の降伏。
交戦勢力
枢軸国
大日本帝国の旗 大日本帝国
タイ王国の旗 タイ
フランスの旗 フランス国
1931 Flag of India.svg 自由インド
ビルマ国の旗(1943-1945) ビルマ国
中華民国の旗 南京国民政府
連合国
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イギリスの旗 イギリス帝国
中華民国の旗 中華民国
オーストラリアの旗 オーストラリア
オランダの旗 オランダ
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
損害
大日本帝国大日本帝国軍人・軍属2,121,000名(盧溝橋事件から太平洋戦争終戦後まで)[1]
大日本帝国の旗民間人800,000人(日本内地500,000人、沖縄を含む日本内地外300,000人)[2] 軍人4,000,000人以上が死亡
民間人26,000,000人以上が死亡

太平洋戦争
南方作戦ソロモンニューギニアミッドウェー作戦ビルマ中部太平洋マリアナフィリピン沖縄戦日本本土空襲本土決戦その他の作戦と戦い

太平洋戦争(たいへいようせんそう、英: Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで[3][4]、大日本帝国を中心とする枢軸国と、連合国(イギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダ、中華民国など)との太平洋を中心とした地域における戦争に対する、連合国側からの呼称である。大日本帝国においては1941年(昭和16年)12月12日、東条内閣が閣議で大東亜戦争と呼ぶことに決定し、当時続いていた支那事変(日中戦争)も含めるとされた[5]。
日本軍の英領マレー半島に対する上陸作戦(マレー作戦)及び米国領ハワイ諸島への真珠湾攻撃で開戦。その後、北アメリカ大陸西海岸(米領アラスカや米本土西海岸)、オセアニアを含む太平洋、東南アジア、アフリカ東岸を含むインド洋に戦場が拡大。蒋介石率いる中華民国政府も日本へ正式に宣戦布告したほか(日中戦争)、末期のソ連対日参戦によりアジア大陸東部でも激しい戦いが繰り広げられた。
大日本帝国は緒戦は快進撃を見せたもののミッドウェー海戦やガダルカナル島の戦いで守勢に転じ、各地の戦場や日本本土空襲などで多数の犠牲を出して敗れた。連合国に降伏して占領を強いられ、現在まで続く日本国政府への政体変更や、経済・社会制度、文化の大幅な変革がもたらされ、日本の歴史において「戦後」への画期となった。
日本の敗戦は663年の白村江の戦い以来約1300年ぶりであった[注 2]。