ヤヌコビッチ政権の打倒を目指すクーデターが始まるのは2013年11月。首都キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)でカーニバル的な集会が始められ、12月になると集会への参加者は50万人に達したと言われている。

 この混乱をEUは話し合いで解決しようとしていたが、暴力を使おうとしていたヌランドは怒り、ウクライナ駐在のアメリカ大使だったジェオフリー・パイアットと電話で話している際、「EUなんかくそくらえ」と口にした。