理性と感性はシーソーの両側にあるもの。
理性を重んじたのが否定派で、
感性を重んじたのが肯定派。
まぁシーソー論のありきたりな結論として、
バランスを大事にするべきだという結論に飛びつきたくなるんだが、
中には、理性側も感性側もあまりに重すぎて、
シーソーそのものをぶっ壊しちまった奴が居たんだよ。
クロウリーやマルクス、
社会学の開祖のコントさんもその一人かもしれん。
社会にいる大多数は、両方適切な重さで、
シーソー自体をぶっ壊さない程度で生きていると思うのよ。
だから大多数の人間は宗教信じてなくても冠婚葬祭には行くんだ。