しかし、学生の要求は認められず、労働者などからの不満に答えるかたちで軌道修正する。胡耀邦は1987年1月に総書記を辞任、89年4月に死亡した。その死を切っ掛けに天安門広場で大規模な抗議活動が始まり、5月に戒厳令が敷かれることになる。