OASは1962年に休戦を宣言するが、ジャン-マリー・バスチャン-チリー大佐に率いられた一派は同年8月22日にパリで大統領の暗殺を試みるが、失敗。暗殺計画に加わった人間は9月にパリで逮捕された。全員に死刑判決が言い渡されたが、実際に処刑されたのはバスチャン-チリー大佐だけだ。