パラリンピックをテレビで観戦していると、現実というのが、
実に、拡大されているのがわかりますね。
今を生きる。現実に。運命や宿命というのがあれば、生きる、という
ことじたいが、運命や宿命かも、と思う。

働いたら負けと思っている。ま、どーぞご勝手に、と思うよ、うん。
ただ、現実としては、食べていく、おかねをかせぐ、というのは、
どうしても必要なことですね。
生き物として、いえ、人間として、日本社会で生きていくためには、
必要ですからね。

おかねを、どうやってかせぐか・・・つねに、その現実をつきつけられる。
もうたくさん。うんざり。金よこせ、俺、私を救えよ、権利がある。
とか、いろいろと、根拠を提示する人もいるが・・・。
で、現実にどう稼ぐの?というと、働いたら負けと思っている、という答え。

もはや、答えのない現実にはいっている。
で、どうする?
何もしないの?
いえ。
ではどうする?

(答え)
働く、という概念を拡張する。オリンピックからパラリンピックへ拡大、と同じように。
概念は、つねに、変化します。
その概念の変化に合わせて、仕組みは発動し、金が、動くのです。
その渦の中に、生きる道あり。
おわかりか?