お金の無い社会を希望する多くの人は、お金の余裕が無い人達だ。
そりゃ、最初からお金の無い人ならば、お金の無い社会の方が都合いいと思い込んで当然だ。
しかし、お金の無い社会でも労働が無くなるわけではない。
物々交換が主体になるとして、何も提供できない人だっているはずだ。
まさか芋掘りの手伝いをさせられて、労働の対価として芋を得て、他の物品と交換するのだろうか? 
そんなもんは、今でもできる事ではないか。
それすらする努力や気力がないのに、どうしてそんな人が「お金の無い社会」を希望するのやら。
ある人が絵や音楽を作るのが好きで、下手だけど魚と交換してくれという話ならばまだしも、
芸術的な意欲もゼロで、技術(テクノロジーからコミュニケーションまで多彩)も知識も無い。
そんな人こそお金の無い社会で一番困るのだ。
お金が無い世界だと、今より楽だと思っているのではないか? 
お金のある今の世の中で、うだつの上がらない人が、
お金のない世界で急に才能を発揮するとはとても思えない。
問題があるとすれば、お金ではなく個人となる。