こうした戦闘員を送り込んでいたサウジアラビアはイギリスによって作り出された。

イギリスは1916年5月にフランスと「サイクス・ピコ協定」を結び、オスマン帝国を解体し、その地域を盗もうとする。大雑把に言って、ヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスが支配、フランスはトルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンを支配下に置くとされた。