脳内情報が補完して当人にとって都合良く見える。しかし当人にとって夢としても、現実この世では面識も事前情報を持ち合わせない
あかの他人の客観的な情報を幻覚で視るという理屈は、幻覚(げんかく)と書きよみする、この熟語の意味からかけ離れた理由にもなる
のではないか常日頃から考えております。
もしも都合良く見えてしまったものは、当人の外界から情報として入力情報のとおり認識した場合は、もしもし亀さんの幻覚(視)でも
なくなってしまったりして、視界に認識したものの一部幻覚で捉えるという意見はありました。