人権問題というものがいかに都合のいい道具でしかないかはチベット問題とか
見てるとよく分かります。チベットは一極派の道具として翻弄され使い捨てられました。
多極派もまた用済みになったマイノリティを使い捨てにする発想は同じなのですかね。
大きな勢力に頼りその道具にならなくても、「マイノリティであろうがマジョリティで
あろうが生きやすい社会」ってものを模索した方がいいかもしれません。
弱肉強食前提で戦い人権を勝ち取る発想をする限り、どこかに必ずマイノリティ(戦いの敗者)
は生まれてしまう。ピラミッドに依存する心が底辺を生み出す・・・