それよりも私は、私の過去を知る人物たちから、あいつはやればできる人間だ、とか、もしあいつが本気になったらその分野は終わる、などと言われているほうが心地よかった。
この悪癖は、とうとうプロゲーマーになってからも直ることがなかった。


 また、私は人の話を聞くことができない。これも先程の話と同様に、才と不遜のせいである。
才と不遜に満ちあふれた人間が、対等な人間関係を築けるわけがなく、才が消えた後も、私はその不遜を持って他人に接してきた。
故に私は、常に誰かの最終人物ではあったのかもしれないが、同時に、私の最終人物となってくれる人間は一人もいないのである。
人に社会経験の不足を指摘できる人間でもなければ、聞き分けの良い年下の人間を周りに集めたところで、親友リーチが限界なのだ。