>>251,217様

>>不当かどうかは”相手や自分の心理”によって決まるのではないと考えています。

>もうやめましょう。常識的な判断で充分なところを無理やり自説の展開に持ち込むのは不毛です。

僕としては、やめるのは構わないのですが、やり取りの流れ上、217様が>>218にて

>>213
メグ>というのも、「抵抗できない障害者の人をいじめる行為」と、「自身の遠くにいる抵抗できない人を遠隔で責める行為」は本質的に同質だからですね。

これも誤りだと思います。被害を受けた障碍者は抵抗できるけれど、それがうまくいかない。
それゆえにハンディキャップをもつ弱者という位置づけです。
それに対して、小山田は社会的には成功者であり強者です。強者に対してイジメは成立しません』

と仰っていて、僕や217様の>>218での真偽を明らかにする意味でも、議論の上ではいじめの定義を明らかにする必要があるとして、今までの議論があったのと思うのですが。
217様は『いじめに対する常識的判断』を上記の説(成功者や強者相手にいじめは成立しない)で定義したほうが良いというお考えなのでしょうか?
それはそれで一つの考え方なのだと思います。

ただ、そうでない場合、217様のいじめの定義はどのようなものなのでしょうか?
217様のいじめの定義と僕のいじめの定義を道理(事実関係の繋がり)に照らし合わせて、比較検討して僕達の共通認識にするのが良いように感じました。

なお、これに関する議論をもうやめるという意見も尊重いたしますので、もし、答えたくない場合はスルーして頂いても結構です。

>>メグさんは長文を書いているうちに何が何だかわからなくなっていませんか?

その可能性もあると思い、読み返してみたのですが、説の真偽はどうあれ論理上の矛盾点は見受けられないように感じました。
もし、その点があれば、今後もご指摘頂ければ幸いです。