カルマの法則は真実だろうか?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
初めまして、メグと申します。
スピリチュアル板でもカルマの法則に関してご質問をお受けしていたのですが、こちらでもお受けすることにいたしました。
需要があるか分かりませんが、こちらでもカルマの法則に関するスレを立てさせて頂きます。
何かご質問があればお願いいたします。
他、カルマの法則や、この世に存在すると感じられる法則に関する意見交換など、ご自由に発言して頂ければ幸いです。
派生元スレ 貯金ゼロまで寄付してみたらこの世とあの世の仕組みを一部教えてもらえた(ただ寄付のみやるのは推奨しません)
↓
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1612314339/ 僕の考えるカルマの法則の概要についてお伝えします。
カルマの法則は人間の精神成長のベースとなっている法則です。
その過程では『自身のした行為が自身に返ってくる』などの原理も観られます。
例えば、誰かの悪口を言う→自身が人から悪口を言われやすい人格になる→悪口を言われるような振る舞いをする→悪口を言われるという流れがあります。
このように自身の行為の影響はまず自身の人格に返ってきます。
良いも悪いも自身の過去の行為により自我が形成され、その自我を解消するために未来・現在の出来事が起こってくる、という流れとなります。
※分かりやすいので悪口を例にしましたが、人に対する指摘には良い場合もあり、逆に、褒め言葉に関しても悪い場合もあります。
褒め言葉の場合ですと、親が子供の容姿ばかり褒めてしまった事で、”容姿が醜いと自分には価値が無い”と子供が信じこんでしまった場合、それは未来にコンプレックスとなり悩みの元になります。
こうした事もありますので、実際は、褒め言葉=良いというわけではありません。 普通、親にしろ子供だの言うのは自分と同じ方の同性相手なんだけどよ
息子なら分からんことがあったら母親に相談はするがな
分からんからよ >>4様
ご意見を頂きとても嬉しいです!
本当にありがとうございます。
>>2で用いた、親と子供の例は、漠然と母親と娘、父親と娘といったイメージで書いております。
>>息子なら分からんことがあったら母親に相談はするがな
そうですね。
僕も分からない事があれば、今でも母親によく聴きます。 >>17様
20くらいまでレスがつかないと早く落ちてしまうんですね。
保守頂き本当に光栄です!
5ちゃんのルールを教えて頂けて、とても心強いです。
この先、僕も何かの形で少しでもお役に立てれば幸いです。 保守を兼ねて派生元のスレから重要と感じる情報を引用させて頂きます
↓
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1612314339/
「なぜ優しさが大切なのか?」について、カルマの法則における観点からお伝えいたします。
優しさというのは【無自覚に働く知性】と言えます。
心優しい人は無自覚にカルマの法則(精神の成長)にとって最善な行動を取り、結果としてもっとも良い道を選べます。
愛がよく知性と同等に扱われるのは、愛のある人は道を踏み外さない賢さがあるからです。
いかに知能が低かったとしても、愛のある人は賢い選択をすることになるでしょう。
人を害すことで自分も人も損失を被ることが無自覚に理解できているからです。
この世においては知能の高い人が注目される傾向がありますが、知能とは扱いが難しいものです。
知能が高いばかりに誤った選択をしてしまうこともあれば、知能が高いばかりに人を見下すことで人格を汚したばかりに、後に苦渋をなめなければいけなくなることもあります。
また、知能は仮の自我にとって都合の良いことばかりを追い求めやすいため、仮の自我から脱却するにあたり障害になってしまいがちです。
知能をうまく扱うには、その分だけ、大きな知性を要すると思います。
(知能は仮の自我由来のもので、知性は実体や潜在意識由来のものです)
知能は低い善を追い求めやすいです。
例えば、愛国心も過ぎれば他の国を蔑み、その排他的感情は戦争にもつながります。
1つの派閥の利益を増やすために10の派閥に損失をもたらすような、そんな理にもかなわないことが容易に行われます。
(それでは、長期的に観ると、他ならぬ自身の損失が10倍に膨れ上がってしまいます)
一方、知性は大きな善を追い求めます。
この世どころかその後の世界における良い選択をする長期的視野があります。
そのため、世界全体で様々なものを分け合おうとします。
国境や人種に囚われず、個々の人の内面や様々な事情を理解しようとする賢さがあります。
精神成長によって大きく伸びるのは知性(愛)です。 保守を兼ねて派生元のスレから重要と感じる情報を引用させて頂きます
↓
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1612314339/
下記「嫌いな人間との関係の根底にある原理・現実は精神構造の投影」というテーマについて
自分の主義を押し付けてくる人物が嫌いな場合、その人は「こうあらなければいけない」と、自分自身に何かの主義を無理に押し付けているケースが観られます。
相手は人に対して狭い考え方を押し付ける欠点があるが、自分には、自分自身に狭い考え方を押し付ける欠点があるという点で、欠点が本質的に一致します。
もちろん、人に押し付ける方が欠点としては大きいのですが、この世においては、大きい欠点をもつ人がそれよりは小さい同様の欠点を持つ人にちょっかいを出す事で、精神の成長が促進されるということが多いです。
(認めたくはないですが、嫌いな人が持つ性質は、潜在的性格において同様の性質が少しばかりあります。環境さえ違っていたら同じことをしていた危険性が自分にまだあるという点で、嫌いな人を通じて潜在的性格が直されたりします)
このように、自身の精神構造が世界に投影された結果、様々な人と出会うことが多いです。
他の例では、学歴が無いことに罪悪感を持つ人であるほど、その罪悪感が具現化したように学歴が無いことで馬鹿にされたり・損をしたりなどの経験をしやすくなります。
これはカルマの解消過程でもあり、その罪悪感の根源を超え、より真実に近い見識を身に着けるため成長へと導く法則の一つです。
学歴の罪悪感は「学歴が無いとダメだ」といった偏見と盲信から生まれています。
嫌いな人物にはこうした要素が含まれていて、偏見と盲信が解除されるほどに、嫌いな人物と縁が無くなるか、そもそも嫌いではなくなっていきます。 保守を兼ねて派生元のスレから重要と感じる情報を引用させて頂きます
↓
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1612314339/
下記「人間に備わる想念の力」というテーマについて
想念について理解するのに分かりやすいのが、
【なぜか、相手の見たとおりに振る舞ってしまう原理】ではないでしょうか。
例えば、自分を信じていない上司や親の前では、なぜかミスばかりをしてしまうことってあると思います。
「〇〇さんの前ではついこんな風にふるまっちゃうんだよな....」ということです。
これは相手の想念が自身に影響したのが大きな原因の一つです。
人間は人それぞれ世界観を持っていて、それは、世界全体に大きな影響力があります。
例えば、人間は優しいものと固く信じていれば、優しい人に出会いやすくなり、出会った人を優しくしていくでしょう。
逆に、人間は裏切るものと固く信じていれば、裏切る人に出会いやすくなり、裏切るつもりの無かった人も裏切ってしまいやすくなります。
このように、意図的に念じた思い以外にも、無自覚に信じていることまでもが想念になっています。
世界観はその人の生まれ持った精神や肉体的性格・親類との関わりなど、様々なものが複合されて形作られます。
好むも好まないに関わらず、自身の世界観は世界に影響を及ぼしています。 >>22様
興味深いご意見を頂き本当にありがとうございます!
おっしゃる通り、循環するか・しないかというのは物事の判断基準において大きな違いが出ると思いました。
とても参考になります。
循環を僕なりに定義すると、「最初に出発した物・付属物が終着点に還り、また出発するという繰り返し」となりました。
この定義からカルマの法則を捉えると、まさに過去の行為により人格に何かが付属され、また現在を出発するという”循環”に当てはまるように思います。
逆に、循環が無い場合ですと、【出発した物が終着点に到達し、もう出発しない】あるいは【出発した物が終着点に一向に辿り着かないが動き続けている】ということだと思います。
ビリヤードの玉を打って出発点と違う場所を終着点として止まった場合、それは循環しないという事になるのだと考えました。
ただ、この玉が100万年放置された場合、何らかの形でその玉は分解されたり、他の何かと同化したりすることもあるかもしれません。
この場合、玉は動きとしては循環しないけれども、存在としては循環する可能性を秘めているのかもしれません。
同じ物体や出来事であっても循環する領域は異なって存在する面もあるのかもしれません。
循環という概念を教えて頂き感謝いたします。
いつもは考えなかった事ですので参考になりました。 >>24様
ご意見を頂きとても嬉しいです!
ありがとうございます。
これを機会に「カルマ」という言葉の意味を調べてみました。
おっしゃる通り、カルマという言葉は仏教用語のようです。
カルマの法則を検証するために色々してきましたが、カルマという言葉自体に詳しくありません。
調べるきっかけを頂き感謝いたします!
今後も何か気になることがあれば、教えを頂ければ幸いです。 ここまで読んで、
例えばある人物なり出来事に怒りや憎しみを感じたとします。
その想いを浄化しなければ「想い」というカルマは発生して そこからまた望まない人生の状況を創造してしまいますよね?
改善のための具体的な方法や考え方をご存知でしたらお聞かせください。 >>26様
書き込み頂き本当にありがとうございます!
サマルとさんはスピリチュアル板の「霊界の隙間からこんにちは」スレにおられる方でしょうか?
もし、そうでしたら、僕はその方とは別の人間です(^^) >>27様
ご質問を頂き本当にありがとうございます。
少しでもお役に立つことができれば幸いです。
長くなりましたので、二つに分けて回答を投稿いたします。
結論から言うと、誰かに対する怒りや憎しみの想いをすぐに解消・浄化する方法は無いと考えています。
というのもそれらを生じさせる元である”自我”はすぐに無くせるものではないからです。
ただ、根本的に負の想いを除去するための方法は存在すると考えています。
【自身の精神的欠点を克服する】というものです。
例えば、自身を抑圧する性質(欠点)を持つ人であると、人から感情的に当たられやすくなる傾向があります。
その際に相手に怒りや憎しみが生じることがあると思います。
この場合ですと、『自身への抑圧を外す行動を日頃から行う』という事が、想いの解消・浄化のための根本解決法になります。
相手を許そうと頑張ることもプラスに働く面はあるのですが、その出来事自体が”自身に対する抑圧”を原因として起こっていますので、自身への抑圧を解消することが根本解決になります。
抑圧の少ない自我になると、「過去の自我(以前の自分)」では許せなかった人への感じ方が変わり、相手への想念も変わります。
(この段階でその相手との縁が切れたり、様々な変化が現実に及ぶことが多いです)
抑圧を外すと一言で言っても、個性の数だけ様々な具体的な方法があるのですが、一例としては
・人前で夢(やりたい事)を語れなかったなら、人前で夢を語るように意識してみる
・一人で行くのに気後れしていた場所があったら一人で行ってみる
・暗い服ばかり無意識に選んでいたなら、明るい服を選んでみる
など、様々あります。
人に対する悪想念の元である抑圧(自我)を外す行動であるほどに、そこには心理的抵抗が伴います。
もちろん、人に対する明らかな悪い行為は良くないのですが、そうでない場合、心理的抵抗を破って抑圧を外す行動をする方が良い結果になりやすいです。 ちなみに、相手に直接、感情的に言い返すことも”自身への抑圧が極端な人(人に嫌われたくない恐れが強い、など)”であれば、そこまで悪い行動ではありません。
ただ、根本的には、必ず過去・前世において自身がした過ちと今回の出来事は繋がっているがゆえに、今、相手に対し感情的に反撃するということは過去と同じ轍を踏む行為になってしまうため、長期的には報われにくいと思います。
今回は自身に対する抑圧を例にしましたが、これらの事例は多いものの一例であり、人間同士のトラブルには他にも様々な性質が絡んでいます。
『問題が起こった根本の理由』をできるだけ把握して、その根本原因を解消するアプローチが有効だと思います。
これを自分で探る場合は、”〇〇さんとのトラブルは自分に何を教えようとしているのか?”と普段から念じる事が良いです。
周囲の出来事を通じて、何かしらの答えへと導きがもらいやすくなります。
例え、正確な答えに辿り着けなくても、根本解決が出来なくても、このように『問題を通じて根本原因を探ろうとした姿勢』そのものが長期的に大きな良い影響をもたらしますので、まずここをクリアできるだけでも長期的には想念の浄化(精神の成長)に繋がると考えています。 丁寧な返信 本当にありがとうございます
長年自分なりの考え方で浄化しているつもりでした。しかし抑圧されたモノは他人や外部の状況を通して見ることになり それを見てまた文句タラタラの状況が続いていました。
こうなると悪意は移動しているだけで その他人の悪意でさえ自分の担当すべき課題に思えて 「まとめて祈る」というような心境なってから初めて心が落ち着きを取り戻している感じです。
今回メグ様のスレタイと丁寧な語り口を見つけ感じるところがあり書き込みさせていただきました。
良スレに成るよう期待します
また書き込みさせて下さいね。 >>31様
こちらこそ、ご質問を頂き本当にありがとうございました。
ご縁を頂けて光栄です。
31様の過去のあらゆる努力や忍耐も、長期的には必ず報われるものだと思います。
それで、カルマの法則を検証してきた結果、人それぞれ、道を開くための選択肢は必ずあるのだと感じています。
今後もお力になれたらとても嬉しいです。
この先も、お気軽にご質問を頂ければ幸いです。 魂が成長に執着するのはなぜですか?
カルマとはあまりにも人間にとって好都合な解釈がされていますね。分かりやす過ぎると言いますか良くも悪くもいかにも人間が考えつくような思想のように感じます。 >>27
或(ほる) 或(おる) 病(ある) 刀(ない) 有る(るる) 無い(のい) >>33様
素晴らしいご意見を頂き本当にありがとうございます!
”成長に執着する”という言葉に非常に感銘を受けました。
斬新な見識をお持ちですね。
おっしゃる通り、僕のお伝えしているカルマの法則は人間的視点に寄っていると思います。
僕自身、その外側の世界を観たいと考えていますので、33様のようなご意見はとても嬉しいです。
実は、僕自身、向上心に溢れた人であっても、ある一定の段階で成長への執着を断つことになると考えています。
ただ、人は仕事・恋愛・様々な人間関係においても『より良い選択』を目指す気持ちを抑えきれ無いとも思っています。
これは見方によっては、成長への執着なのですが、消えないことにもそれなりの意味があるのだと思います。
動植物が自然と体が成長する作用があるように、魂にもそれがあるのかは別として、成長への執着が消えない場合、その”執着が消えない理由”は僕もこの先詳しく理解できたらいいですね。
より良い選択を日々目指す(成長を目指す)・目指さない(より良い選択をすることに囚われない)
のどちらにも相応の可能性を感じます。
ただ、そうなると気になるのは、僕のお伝えしているカルマの法則が実際に存在するのか?という点です。
例えば、>>2にあるような誰かの悪口を言う→自身が人から悪口を言われやすい人格になる→悪口を言われるような振る舞いをする→悪口を言われるといった流れがあります。
これらの原理が実存するのかどうかが大切になると思います。
というのも、これらが存在するのであれば、その法則は人間にとって”電気”を活用できるようになるような恩恵に繋がると思います。
電気も元々は見えない力として自然に働いているものでしたが、人類の中の誰かがそれを解き明かして、人間は自身の力へと換えることに繋がっています。
これと同様に、実際にこの法則が存在する可能性がある場合、ひとまずそれを探究することも理に適うように感じます。
そのため、ひとまずは徹底的にカルマの法則に沿った行動をしていき、その結果、僕の生活・人格が破綻するか、それとも、その逆を行くのかを観察してみます。
また、33様の思想にはとても価値があると思いますので、”成長が無い”という前提で徹底的に掘り下げていったとしても、観えるものが多いかもしれませんね。 >>34様
素晴らしいご意見、とても参考になります。
【魂に成長が無い】という視点は僕にとって新しい世界を開くことになるかもしれません。
現状、まずはカルマの法則に沿った生き方を徹底的にするのですが、それにより何か大切なものが破綻した場合、魂に成長が全く無いという思想も徹底的に検証してみたいと考えています。
実は、僕自身、>>1に記載した前スレにて”成長を目指さない”ことの大切さに気付き、現状、その思想による恩恵も受けている状態です。
ただ、この場合、まずは精神的欠点の克服や他者への貢献により知性が向上しないと、「成長を目指さない」ことによって人の生活・人格が破綻(不幸)に向かう恐れが強いものとして考えてはいます。
果たして”成長を目指さない”ことが、どの時点で有効なのかが僕も関心のある所です。
魂に成長がなんて無いという思想も検証する価値があるものだと思います!
良いご意見を頂き本当にありがとうございます。 >>36
よく魂は成長を目指して輪廻転生を繰り返すと言われていたので、あらゆるSNS等で同様の質問をしまくりました。こちらは微妙にスレチだったと思うんですが真摯なレスありがとうございました。
その手法なり法則なり原理を身をもって探究されてる方なんですね。私もスピ系は大好きだったので色々試していた時期があります。私の場合、悪口を言わない→話していて楽しくないと思われることが多かった、という結果が得られまあまあまあって感じでしたね。人の悪口を共有すると他者との距離がグッと近付くか拒絶されることから、もしかすると類友とはこういうカラクリなのかもしれませんね。
脱線失礼しました。 >>38様
優れたご洞察をされていて驚きました。
”悪口を共有する事で人との距離が近づき、類友(悪口を言うという点で)ができる”
というのは、僕もカルマの法則が大きく関わっているように思います。
長期的に観ると、その人間関係からは誰かへの不当な悪口を言った分の負の部分が大きく出てくる傾向がありますね。
おっしゃる通り、実際は、悪口で躊躇なく盛り上がれる方が人から見てとっつきやすいように感じられる事もまた事実でしょう。
悪口を言わない人は”本音”まで隠すことが多いので、その部分が人から見てとっつきにくく感じる面なのかもしれません。
ただ、悪口という概念は物事を分かりやすく解説するのに良いのですが、実際はその”悪口”の内容は様々あり、言った本人に返ってくる影響も様々ですので、詳しく観ていく場合は一人一人の言動・その影響による人格を分析しないと分からない面が多いように感じています。
(褒め言葉でも相手に対する影響が良くない場合もありますので)
ぜひとも、また疑問があれば書き込んで頂ければ幸いです。
このご縁を頂き本当に光栄です。 メグ様のスレがあるスピリチュアル板を見てきましたが汚いコピペの荒らしが酷いですね
このような行いをする者にはどのようなカルマの法則が働くのでしょうか? >>40様
ご質問を頂き本当にありがとうございます。
結論を先にお伝えすると、荒らしの方は『迷信と錯誤の世界』へと向かっていきます。
そこでは人にそうしたように、見たくも無いものを多く目にするでしょう。(荒らしの内容が誰かへの悪口であれば、未来には自身も多くの誹謗中傷を受けるでしょう)
ただ、その分、過去の過ちを払拭した際には、より多くの知恵が得られるものだと思います。
コピペの荒らしに関するカルマは、様々な点から生じます。
主に1【5ちゃん運営側】2【スレ主】3【スレをご覧になる人】に対するカルマです。
5ちゃん運営側は”匿名掲示板の自由度”を重んじているがゆえに、荒らしをあまり規制はしていないので、その分、運営側に対するカルマは減っています。
ただ、それがゆえに、荒らし本人が荒らし行為を止める機会が作れていないという点で、運営側にもカルマが生じ、荒らしの方にもより多くのカルマが生じている状態です。
次に、2の場合ですと、これはそのスレが何らかの思想を”特定の人が”伝えるスレである場合にカルマが大きくなります。
その思想が多くの人にとっての人生に良い影響を与えるものである場合、荒らし行為によるマイナスは大きく本人に返ってきます。
しかし、この場合、スレ主が、荒らされる危険性を持つ5ちゃんという場所をわざわざ選んだ事がありますので、そうした自由意志による判断分は荒らしの人に対するカルマは減っています。
(戦場の混乱の中で人を殴るのと、平和な道の路上で人を殴るような違いがあります)
3の場合ですと、荒らしによりスレの内容への理解が滞った場合、また、それによる機会損失分のカルマが荒らしの方に生じます。
人を不当に不快にした分のカルマなども生じてくるでしょう。
これらが複合的に合わさり、荒らしの方は『迷信と錯誤の世界』に入っていく事になります。
これとは逆に、誰かに対して丁寧に回答したり、相手を元気づけたりするほどに『真相の世界』に入っていく事にもなるでしょう。 某預言書によるとそういう法則は宇宙レベルではあるのだが、悪神が支配していた世の中だから
因果応報が起こらんようになってたっぽい >>42様
興味深いご意見を頂き本当にありがとうございます!
『悪神』についてはあまり良く知らないのですが、人間の欲を媒体にしてこの世界に干渉する霊的存在は知っています。
それはこの世では悪魔と呼ばれていますが、種類も様々であり、それらすべてを”悪魔”と呼ぶのは難しいように考えています。
それで、”善行に対する物的見返り”という意味では因果応報はあまり見られないように思います。
どちらかというと、悪魔崇拝のような禁忌を超える行為の方が物的見返りが得られる要素が大きいのが現状ではないでしょうか。
ただ、因果応報は『行為の結果が人格に返ってくる』『その人格に見合った”精神の保護”がこの世で得られ・死後、人格に見合った世界に行く』という形では働いているように思います。
善行に対する物的見返りが少ないと寂しい気持ちになると思いますが、その行為が良くて物的見返りが無いほどに人格へのプラスの影響が大きい事から、物的見返りがあまり無い方が精神成長の場としてこの世が優れている面もあるかもしれません。
人類の精神成長に伴い、カルマの法則は物的見返りの側面が強くなるだろうと僕自身は考えています。
42様の表現を拝借すれば”悪神の手から世界が離れるほどカルマの法則が物的に顕現する”といった形でしょうか。
この世界は本当に興味深いと思います。 カルマってのは第三者が決めるのでは無く
自分がどれだけ悪い事をしたかという意識で決まる
当然悪を働いてもそれを悪いと思わなければカルマは発生しない
でも潜在意識は全部知ってて善悪を覚えてる
顕在意識で感じる悪事は今生でカルマが返ってくるのに対し
潜在レベルでの悪事は今生では難しい
これによって多くの場合「やり逃げ」に見える
これに気づいた賢者達は不当な苦しみを喜びと捉えた
人間は多次元存在と言える
少なくとも異なる時間軸を持つ二つ以上の意識を有しているので
こういった複雑なことが起こる 私は単純に人間も自然の一部だと思ってる
人間社会でのお約束事は必然だけどそれだけの事
火曜、水曜が燃えるゴミの日だから守りましょうねって言うのと同じ事
カルマって実証方法がなくない?分かれ道の片方を選び進んだ場合の事しか知り得られない >>45
実証方法あるしあるから間接的に干渉してるんだよ。悪魔とか >>46
例えば今回の虐め事件
被害者はどんなカルマの元あんな酷い仕打ちを受けなくてはいけなかったの?
加害者にはどんな将来が待っているの?
因果を結びつけられる確証はあるの?あったとしてそれが何になるんだろう >>47
知らんよ。例として魂は死んだら消滅する世界がいい霊的なものもいるが魂が影響力がある外界に出たらふるぼっこにされたりとかそれぐらいじゃね? >>47
横から済みません 旭川の事ですよね?
私も考えたのですが あの事件だけでなく理不尽な数々の事件は おそらく見ている我々に問い掛けられているのだと思います
いじめはニュースにならないだけで何処にでも自身の周りにあった筈です。
その時自分は何を考え何をしたのか?
いじめる側か、いじめられる側か、見ている側か
その経験を踏まえてこれからどうするのか?
悪魔が居たとしてその悪魔に好き放題やらせる神様ってなんなの?
私達の怒りにも似た神への想いも私は悪いものだとは思いません。
真剣な想いは必ず次に繋がると思うのです
被害者は前世の悪業でこうなったのでしょうか?
それならこのようなニュースを私達が知る必要はあるのでしょうか?
ここには何らかの意味が隠されているのであり それを考えないで済まして来たことで いよいよコロナが世界を殺しにかかって来た様に見えます。
私にはまだ確証は無いのですが、おそらく「そうだろうな」と思う考えがあり それを実践中です。
一人ひとりがそうなんだろうと思います 例えばさー
人間が生きてるだけで、たくさんの生き物が死ぬよね
別に悪意がなくてもさ、地球上の食事をする生物は
ほかの生物に苦痛を与えないと、生存すらできない だからといって、食われたり殺されたりするのは
みんな嫌だし、自我を持つ生き物が
そういう事をされれば嫌になるよね カルマって
なんかすごく自我を持つ生物特有ぽくないですかね
なんていうか、思い込み、こだわりなんだけども
それが事実だと思うと機能しちゃう感じ 一人の人間が、殺人を犯したとする。
その人間の生まれ育った環境、親、資源、前世、エネルギー状態
などなど多次元に渡る領域まで責任を追及すると
そもそも、こんなもの、誰がどう裁けるというのか 例えば超完璧な演算能力を持つ
超宇宙人みたいな人がいたとして
その人は、どうしたら自分が完璧に正しいと
証明できるのか。
これは仮説ですが
カルマというのは疑わしい設定や思い込みや傾向に
過ぎないのではないでしょうか >>54
最後の三行に賛成します。
あらゆる全てを見て考えて認識している側の問題なのだと。 44だが基本的な事を一つ
何を得てもどんな喜びも魂を満たす事は出来ないんだ
例え高次元な意識でも存在でもそれは同じ
ただ凪だけが満たす事が出来る
静寂或いは沈黙は神の創造の中でも特に優れてる 神が世界を創造しようとした時
同時に創造されたもの全てが神に戻ろうとする力が生じた
その内知識は特に動きが多く神から最も遠く離れていた 世界は器で宇宙も星も生命も器だ
神の性質を独自に体現するための。
しかしそれら全てに境界を置き個々に区別することでカルマが生まれた
つまりカルマとは世界そのものなんだ この世界は因果と信仰心により創られて成り立っているんじゃない?
因果は視えませんか? >>49
> 私達の怒りにも似た神への想いも私は悪いものだとは思いません。
> 真剣な想いは必ず次に繋がると思うのです
これは私もそうあってほしいと思ってる
あんな凄惨な事件をカルマで片付けてもらっては堪らないよ
長い目で見て意味があることだとしても当事者にとっては本当にどうでもいい事
被害者は全人類の意識改革の為の生け贄だから仕方ないって言ってるように聞こえる いじめられた人の過去やいじめた人の未来が観えると
どうなるだろうね 殺した人と殺された人、過去世では同じ当人同士が逆の立場だったという宗教家の説
その両者は両者の立場を認識したはず? MOXの放射能で高速回転でのろいにする
のろいと放射能は、関係がある 外歩いてたらカラスにフンを落とされて、
さらに車にもイタズラでフンを落とされていた
完全にナメられている
動物にすらナメられている
何か悪いことをした記憶も無い
路肩のアンケートでも道を尋ねられる時も、
人間関係のいじめにしても、相手の態度の取り方にしても
真っ先にこちらがターゲットにされるし、
こういうのってカルマ的な解釈ではどうなるんだろう? 被害妄想をカルマの法則のせいにするのは甘えだと思います。 甘えというよりも、
せっかくオカルト板に書き込んでいるんだから、カルマの法則を通しての解釈を頂きたかっただけなのだが、、 何の関係もないことをひとまとめにしてカルマ云々とは甘え。
虐められたくなければ体を鍛え、知性が足りなければそれを補う。
それをせずにカルマの法則のせいにしようとは怠惰そのもの。 まず人は、
道を訪ねる時は優しそうな無害な人間(よく言えば親切な人)
を選ぶし、
パワハラを起こすのも、
相手を怒鳴りつける時も、
説教をする時も
人をからかう時も
町内会の役員を選ぶ時も
反発しなさそうな、"無害そうな" 人を選ぶ
この世のありとあらゆる人間が
何気ない選択を行うときに起こる原理は、
無差別殺人で犯人が"無意識"に反撃されなさそうな人を
選ぶのと同様であると思う
何気ない選択でおこる、無意識下のこうした加害者と被害者の関係のカルマは何なんだろう? つまり、カラスは関係ないということになる。
そして、反発しそうにない人を選んでいる時点で
それは無意識ではなく意識的な選択に他ならない。
すべて前提や設定が結論ありきの残念な話。 われわれ人間のありとあらゆる行為・行動にカルマの法則が働くのであれば、
特定の事象を取り出して、それが特定のカルマによって引き起こされていると
考えることは傲慢に過ぎる。一体どれだけのカルマが原因となっているかは
調べようがないはずです。 このスレ主さんのいわれるカルマの法則とは、
「自分がしたことはいずれ自分自身に還ってくる」
というもののようです。
ならば、連続殺人犯は10人、50人と無辜の民を
殺害したことにより、その後、10回、50回と殺される来世が
待っているのでしょうか。
連続殺人犯といえども存命中に功徳を積むことにより
カルマを少しでも解消できるというのでしょうか。
ならば、連続殺人犯を死刑に処すことはその犯人に対する
魂レベルの救済となりましょう。少なくとも1つその犯人のカルマを
解消してあげたことになるのですから。
この考え方はあのオウム真理教が採用していた「ポア」の概念です。 確かにそうですね
貴方の仰っている言葉には隙が無い、感心した
答えてくれてありがとう カルマの法則に関する議論が活発化して、とても嬉しいです!
議論の邪魔をしないように、僕自身が全ての方に返信するという形はストップさせて頂きますね。
(名指しでご質問を頂ければお答えさせて頂きます)
『カルマの法則がそもそも存在しない』という思想も非常に興味深く、大きな可能性を感じます。
ただ、この思想に関しても”論理”にしろ”現象による根拠”にしろ、それらが無ければ発展しづらいように思います。
この場合、検証するためには人道的に観て明らかに悪い事・明らかに良い事をした際に、自身に対してどのような影響があるかを分析するのが分かりやすいかもしれません。
行為の影響が人格(自身)に返らず、その後の精神に何も影響が及ばないのであれば、カルマの法則は無いと思います。
自身の行為の影響は自分に波及しなかった(自分のした事が自身に返って来なかった)のですから。
ただ、自身の行為の影響が人格に返り、人格の変質によって過去と違うような現象が起こる回数が有意に多いのであればカルマの法則があると思います。
その回数が有意に多いのであれば、そこには何らかの原理があると考える、というのが裏付けにあたって重要だと考えました。 >>73で検証方法について書かせて頂いたので、僕自身の検証結果の一部をお伝えしていきます。
カルマの法則を検証するためにまず始めたのは当時の職場の人に日々、食べ物を差し入れたらどうなるか?ということでした。
これは自身の人格に”コミュニケーションの積極性”にプラスという影響を感じ、物的には食べ物や遊びの誘いという形で返ってくる事が多かったです。
ただ、ある所までやると、「悪いからもういらないよ」と言いう人が増えたので中止しました。
次はお金を無償で人に分け与える行為(寄付)によって検証を始めました。
簡潔には書けない様々な経緯があり、自身の人格に”自立心”や”思い切り”、”思考力”がプラスされ、結果的に自営業が上手くいきました。
(しかし、その後、寄付行為には物的な見返りはあまりないものと考えています※ただ、条件しだいではあり得るとも考えています)
次に、人に人を紹介してみたら自身の人脈は増えるのか?という検証をしてみました。
これはかなり増えました。
人格に対しては”積極性”や”ユーモア”や”無責任さ”といった性質がプラスになったように思います。
他には、人に知識を与えたら自身に知識で返ってくるのかという検証をしてみました。
その結果、単的に言うと、相手に与えた知識の分野と同質の知識がより増えるという結論が得られました。
ただ、知識の増加以上に、根本の思考力の向上効果があるように感じました。
他にも様々な検証をしてみたのですが、その結果、自身のした行為は自身の人格においても物的にも、大きな変化を及ぼすと結論づけています。
しかし、それはあくまでも僕の結果です。
他の方々にも同様の原理が働くのか?という点が、カルマの法則の存在の有無を決定づけるものだと考えています。 ホームレスの人に5000円あげたら、
その日のうちに母から5000円貰うという変なことはあった >>73
その行為の反響だと判断する理由を教えて下さい
なにもしなかった場合と比較できないところがカルマ立証のハードルだと思う スレ主さんの実践した具体的な事例を読むと、
職場の方に食べ物を差し入れたらお返しがあった。
しかし相手の負担(重荷)になるから中止になったので
カルマの法則としてはどうなのでしょう。
次に、お金を寄付することにしたら精神面にプラス効果があったが、
寄付した金額に見合うだけのリターンはない。
他者に人を紹介することを実践すると人脈は増えたとありますが、
こちらは当たり前のことではないかと思います。
精神面でもプラスがあった半面、トラブルは発生しなかったでしょうか。
自分の持つ知識を他者に与えることを実践したら、自分が持つ知識と
同ジャンルの知識が増えたとあります。これは単純に相手との
コミュニケーションが増した結果ではないでしょうか。 >>76様
興味深いご質問を頂きありがとうございます。
これは分析を進める上で、とても大切な視点だと思います。
自身のした行為による相手の直接的な反応・また、その行為による記憶がその後の行動に影響を与えていれば、それはその行為の反響と観ています。
”過去の記憶を元に未来の行動する”というのは人間の精神活動にとって当たり前なのですが、僕はこれほどにカルマの法則が当たり前に働いていると結論づけております。
例えば、カルマの法則を検証するために、周囲に愛情深い言葉をかけてみるというのを実行してみました。
当時の僕はニートも同然でしたので、母親に対して「今はこんな感じだけど、いつか楽をさせてあげるからね」と勇気を持って言ってみました。
(当時の僕にとってはこういう事を言うのが勇気のいる事だったのです)
父親にも「守ってくれてありがとう(経済的な意味で)」という言葉を伝えました。
その結果、親との関係が良くなり、親との関係で”言った方が良い事を言えるようになった”という体験は、なぜか、他の人間関係に効果が波及しました。
他の人に対する愛情が湧きやすくなり少し人から好かれやすくなりました。
その背景には”親に対して愛を表現した”という記憶が大きく影響していて、このように、記憶を元に何らかの感覚が広がれば、それはその行為による反響と観ています。
寄付なども同様に、”お金を無償で人に与えた”という記憶が、その先に自営業にとって重要な「相手目線」(相手の立場で考える)という事に繋がれば、それは寄付行為の反響であると観ます。 >>77様
疑問に思う事を明らかにして頂けると、とても助かります!
本当にありがとうございます。
>>職場の方に食べ物を差し入れたらお返しがあった。
しかし相手の負担(重荷)になるから中止になったので
カルマの法則としてはどうなのでしょう。
周囲の人に対して食べ物を与え続けるのは、完全に良い行為では無いので、しだいにそれがストップされるように人生展開が生まれるのはカルマの法則に適っていると考えています。
>>お金を寄付することにしたら精神面にプラス効果があったが、
寄付した金額に見合うだけのリターンはない。
寄付により”生活費より過剰な収入を得たい”という事であれば、寄付によるリターンが無かったという事になります。
(ただ、当時の検証の場合は、結果として過剰な収入に繋がっていましたが)
過剰な収入が得られたか?という判断基準であるとそうなのですが、寄付行為による快感の記憶により『もっと人に何かを与えられる存在になりたい』『生活費も少ないのに寄付しちゃってどうしよう』という想いが同時に強くなった結果、”お金を稼ぐ力”の方を身に着ける結果になりました。
お金と比べると、当然、お金を稼ぐ力の方が価値がありますので、それが得られた事には繋がっていると思います。
ただ、その後、お金を稼ぐ力より価値があるのは、『お金を節約を楽しめる気持ち』であり、さらに価値があるのは『お金に囚われない精神(貯金残高が幸福度に影響しない)』ことだと結論づけています。
不要なものを過剰に増やすより、不要なものを不要と観れる視点の方が真実に近く、価値は高くなります。
寄付行為はその質が良ければ良いほど、お金より本質的に価値のあるものが手に入る傾向があると考えています。 長くなりましたので、>>79の続きを投稿いたします。
>>他者に人を紹介することを実践すると人脈は増えたとありますが、
こちらは当たり前のことではないかと思います。
精神面でもプラスがあった半面、トラブルは発生しなかったでしょうか。
”当たり前”と思われる返報性の部分にも、僕はカルマの法則が働いていると思います。
もし、「人に与えたものが相手から返してもらえるのが当たり前」と判断するのであれば、逆に、それはカルマの法則が働いていると判断するのが良いと思います。
(実際は、直接与えたものと同質のものが相手から返ってこない事は多いと僕は考えています)
幸い、僕が観た限りでは大きなトラブルは発生していないのですが、食べ物を与える行為と同様に、ずっとやり続けるほどに完全に良い行為とは思えませんでした。
まだやっていない人は、実行してみても良いと思いますが、終生やり続けられるものではないと思います。
>>自分の持つ知識を他者に与えることを実践したら、自分が持つ知識と
同ジャンルの知識が増えたとあります。これは単純に相手との
コミュニケーションが増した結果ではないでしょうか。
これに関しては、手段がネットを通じた情報配信だった事もあり、相手との交流はほぼありませんでした。
そのため、コミュニケーションによるものでは無いと思います。
かなり感覚的な言い方になるのですが、人に情報を与えるほどに、なぜか、自身の思考が動き出し”現象から情報を見出し、それを人に提供する”ということがやりやすくなりました。
人に知識を与える事は、自身の根本の思考力の向上効果があると感じたのはそのためです。
ちなみに、人に知識を与えると異様に記憶に定着しやすくなるのは、いくらかカルマの法則との関連を示すものの一つな気はしています。 >>78
レスありがとう
行為の直接的な反響ですが、それをカルマだと大仰な言い方で表現しているのかな?
周囲に愛を表現する行為に付随した効果は原因と結果であってカルマと呼ぶには至らないものではありませんか?
思ってもいない形に変換され自分に返ってくる業のようなものをカルマだと認識していたのであのような質問になりました
人道的な思考、選択とはあくまで人間の視点にすぎませんから、都合のいい解釈をもって物事に意味を見いだす行為は自己満足に他ありませんよね
カルマについてですが、犬の躾と一緒でいけない行為はその場で正さなければ時を隔てて叱ったところで関連つけられず理解できないことと同じではありませんか? >>79
カルマの法則とは、「自分がしたことはいずれ自分に還ってくる」だったはず。
それがなぜか、「よい行為でない場合はそれがストップされるように展開する」
という解釈?になっており不適当では?
スレ主さんがいう「お金を寄付したことが収入アップに直結する」という根拠がどこにもないのです。
カルマの法則とは、いつになるか不明なものの、「いずれ自分がしたことが自分自身に還ってくる」
でしょうから故意に何かを期待して原因を作るというものではないはずですが、いかがでしょうか。
カルマの法則とは打算的・即物的なものではないと理解しています。ですから
カルマの法則を期待して誰かを蔑んだり、自分の未来を期待するものではないと思います。
打算的な思いはカルマの法則によって打算的な結果をもたらすからです。
スレ主さんの目的とその行為は、「呪い」に通じるものだとわかってきました。
呪いの代償を先に払うことで呪いを現実化しようとすることに通じます。 >>81様
引き続きご質問を頂きありがとうございます。
とても良いご質問が多いので感銘を受けました。
81様の仰る【思ってもいない形に変換され自分に返ってくる業のようなもの】というカルマの法則の観点は正しいと思います。
事実、人間が論理で追える部分が1に対して、1万以上の部分が上記のものに該当するのではないかと考えています。
こうした議論の場では論理で追えるテーマに限ってお話した方が良いかと思い、特定の行為が未来に特定の影響を及ぼす事が確認できることを立証する一つとして”過去の行為により出来た記憶により、自身の人格に変化が加わり、未来の行動に変化が出る”(自身の行為の影響が自身に返ってくる)という部分をお伝えしていました。
ですので、カルマとは思ってもみない形で返ってくる事の方が多いのは間違いないと思います。
これに関しては、https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1612314339/のスレで多くを解説させて頂いております。
(もちろん、書かせて頂いているのは、現状の僕の思想の範囲での事です)
もし、僕の考えるカルマの法則における、身近な人々のやり取りの中での原因と結果以外の部分をお聞きになりたい場合は、ご質問を頂ければお答えさせて頂きますね。
それで、カルマをどのように捉えるかは人により様々なのだと思います。
僕の場合ですと、身近な人とのやり取りにおける原因と結果という部分から、前世の行いと今世の報い、自我からの脱却、といった遠大な部分まで含めてカルマの法則の範疇で考えております。
人道的な思考については人間の視点なのですが、人間の行為に対し”人間を超えた存在や原理による、何らかの効力がある”とすれば、それは人間の視点による行為と切り捨てられない事情が出てくると思います。
81様の仰る通り、カルマの法則が仮に存在するとして、人間が定める人道的に良い行為に報いるとは限りません。
検証するにあたって分かりやすいという理由から、人道的に明らかに良いか悪い行為による影響から分析するのが良いという考えを書かせて頂いた次第です。 >>82様
ご質問を頂き本当にありがとうございます!
少し文字数制限に引っ掛かりましたので、2つに分けて書き込みしますね。
【自分がしたことはいずれ自分に還ってくる】という事と、【よい行為ではない場合はそれがストップされるように展開する】という事は両立しえるものだと思います。
というのも、自分がした事がいずれ自分に還ってくるのは人間の進歩を促すための原理であると僕は考えておりまして、何らかの学びが一定に達すれば、過去の”善行と思っていた行為”のマイナス部分を自発的に理解できるか、理解できるように人生展開が起こると考えているからです。
それで、寄付についてなのですが、僕は寄付したことが収入アップに直結するという主張はしていないつもりでした。
僕自身は”風が吹けば桶屋が儲かる”のような様々な因果関係が働き、結果として収入アップに繋がったかもしれませんが、寄付=収入アップ、はまずあり得ないと僕も考えています。
以前、僕は200人前後の人と寄付による効果を分析した事があるのですが、その際に多かったのは「過去に関心を持っていた事に関心が無くなったこと」や「過去に偏見を持っていた対象に対して、偏見が少なくなる」(偏見対象であった存在と近い状態に自身がなる)といったことが多かったです。
ただ、僕の経験のみの根拠でしか無いのですが、寄付先の選定と寄付の動機や実践環境しだいで、その影響は異なるように思います。
>>「いずれ自分がしたことが自分自身に還ってくる」
でしょうから故意に何かを期待して原因を作るというものではないはずですが、いかがでしょうか。
これに関しては様々な人の見解がある点なのではないでしょうか。
僕個人としては、見返りを期待する気持ちが少しあっても相手のためにやってあげたければやった方が良いと思います。
というのも、カルマの法則には”見返りを期待する弱さ”までも除去していく原理があると考えているからです。
僕自身の経験上では《見返りを期待するのは良くないから、その気持ちがあれば人の為になる事はしない》というのも、保身(打算)が入るように感じました。 >>スレ主さんの目的とその行為は、「呪い」に通じるものだとわかってきました。
これは考えた事も無い、斬新なご意見でした!教えて頂き本当にありがとうございます。
理解しがたい面が多いので、差支えが無ければ”呪い”の定義について教えて頂いても宜しいでしょうか?
僕の呪いの定義は”他者に対して損害を与えるために超常的な力を用いること”です。
82様の呪いの定義が分かれば、82様の思想を掘り下げて理解することができるように思います。 >>85
自分が幸せになりたいと願うことと、他者が不幸になってほしいと願うことは
「願う」という行為においては同じなのです。ただ、願いの内容が異なるだけです。
呪いとは自分を呪う人もいるかもしれませんが、他者を呪うことが通常です。
自分はこうしてほしいと願うことにおいて、他者に不幸が訪れてほしいと願うのです。
そして呪いには代償が伴います。「人を呪わば穴二つ」がそれです。
呪いを成就させる超常的な存在はその見返りを期待しているわけです。 >>86様
とても参考になります!
ただ、正確に理解できているかは分かりませんので、もう一度質問をお願いできますでしょうか?
(もし、お忙しいようであれば、スルーして頂いても結構です)
『自身への恵みを望むのは、他の人が損失を被ることなので、自身の未来の恵みを期待し原因を作ろうとするのは呪いを実践する事である』ということでしょうか? >>87
その通りです。
私も過去に何度か密教系の僧侶に呪詛を依頼した経験があります。
「有能で人望のある同僚が目障りだから蹴落としたい」
「私を毛嫌いする女を懲らしめて懇ろな仲になりたい」
「私を左遷させた上司に失敗させ、そのポストに就きたい」
などは他者のマイナスを自分のプラスに転嫁させる類の願いですから、
それなりの金額という代償を支払うことによって呪詛が成就しました。
超常的な存在が代償として命を要求してくるのは、呪詛する相手に対して
致命傷をもたらすことにより我欲を成就させるような場合に限られます。
ですから復讐を呪詛する場合は致命傷が相応ならば「人を呪わば穴二つ」
とはなりません。呪術者が頼る超常的な存在の種類にもよりますがね。 >>88様
『自身の恵みを望む事は他者の損失を望む事』という着眼点が実に見事だと感じました。
人生経験に裏打ちされた素晴らしいご意見です。
僕も物的な面に限れば、人間の願望成就に際しそのような面があるのが事実だと思います。
ただ、僕の場合、カルマの法則は精神面での見返りが主であり、物的見返りに対してあまり報いないと考えています。
82様の仰る通りの理由で、自身の行為が他者の損害に繋がる場合、心に優しさを持つ人であるほど潜在意識によるストップか・その行為が失敗するように導かれる傾向があります。
これはカルマの法則による人格面での保護作用のためと考えていまして、カルマの法則に期待できるとすれば人格面の見返りが主になると思います。
この場合は自身の恵みを望むことが他者に損害を与えるものではありません。
例えば、感情的なAさんが「自身の感情をコントロールできるようになりたい」と願い、それが叶えられる事はAさんの周囲の人の幸福につながることだと思います。
過去、自身や他者を分析してきた結果、カルマの法則は”自分と世界全体にとって真に価値のある事が得られるよう後押しする法則”でもあると考えています。
あらゆる幸福は恵みは精神(人格)より生まれるため、恵まれた物的環境よりも”幸福や恵みが生じやすい精神”の方が価値が高く、得られやすくなります。
またそれは他の誰かの幸福に必ず繋がるようになっているように思います。
ただ、物的な願望を持ち、その成就のため精神(人格)を磨くプロセスは誰しも必ず存在しているのもまた事実だと思います。
例えば、消極性の高い人が夢を叶えるために”積極的な行動”を勇気を持って行い、自身の精神を進歩させることは善の一つの形だと僕は考えています。
その願望の質により他者に与える影響は様々でしょうが、0か100かのような判断ではなく、その行為の評価点が10であっても、人間は徐々に全体にとって良い形を目指すことができると思います。
(本能的に、人間は全体にとってより良い選択を目指す傾向があるので長期的にはそうなると思います) >>88
目障りだから、毛嫌いされているからの理由で大金払って呪い飛ばすとかヤバない?
スレチになっちゃうけど気になって。あなたのレスを聡明で常識のある方なんだろうなって読んでたんだけど、いきなり呪いときて「!?」となりました笑 >>90
一見こいつは聡明で常識のあると思うだけで実際は「闘将!!拉麵男」の怒雷拳士みたいな奴だで
凄いことを言っているように思えるだけで実際は現実が視えてないし大して霊的な力も無いよ
貯金ゼロまで寄付してみたらこの世とあの世の仕組みを一部教えてもらえた(ただ寄付のみやるのは推奨しません)
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1612314339/
590メグ2021/03/18(木) 10:05:42.15ID:qy7qZhz6>>593
>>583様
素晴らしいご意見を頂き本当にありがとうございます。
583様のご意見はとても正しいと思います。
このタイミングでご指摘頂けて非常に良かったです。
おっしゃる通り、当時の実践法は間違っていたと思います。
なぜ、その間違いが生じたのかを僕なりに分析しお伝えします。
当時(29〜30歳まで)の僕は野心が強すぎて外の成功ばかり追い求めていました。
妻のことを大切にするという信念はあったのですが、人前で”ハーレムを作る”とか公言したり、非常に問題のある行動が目立っていました。
(複数の女性を同時に大切にできると思っていたようです)
それが寄付の額を多くして見た結果、性欲が薄くなりハーレムを作ることに虚しさを感じ始め、妻との関わりや育児が楽しくなってきました。 こいつのYoutubeチャンネル見ていても「なんだこのおっさん!?」ってギャップに驚くで
839メグ2021/04/12(月) 17:12:24.84ID:SkQNShN5
本日からyoutube上でカルマの法則に関する動画を配信することにしました。
youtube上で「oneworld カルマ」と検索すると、僕が話している動画が見つかると思います。
たかひろと名乗っていますが、それは僕の本名の名前です。(メグ=たかひろ)
文字だけだと難解になりやすいので、動画では資料を用いて分かりやすく伝えられたらいいなと思っています。
今後も5ちゃんねるでカルマの法則について広めたり、内容を議論したり、誰かのご相談に乗ったりなどは続けていきますので、今後とも宜しくお願いいたします。 メグは実際は羊の皮を被った狼だからスピリチュアル関係で金儲けをするのは向いているよ
俺は現実離れした壮大な綺麗事で金をせしめたりすることに良心の呵責を覚えるもん >>93,92,91様
僕のチャンネルまでご覧頂けていたようでとても嬉しいです!
外見に気を使うのが苦手でして、ご不快に思われる点があれば大変申し訳ないです。
もし、そのような点があればご指摘頂ければ幸いです。
ちなみに、ハーレムのくだりを改めてみると、ちょっとおもしろいですね。 >>95様
ご指摘を頂き本当にありがとうございます。
リンクまで掲載して頂きとても光栄です!
oneworldって単語はイルミナティと関係があるんですね。
初めて知りました.....
貴重な情報を頂き本当にありがとうございます。
名付けた際には”一つの世界”という意味を意識しておりました。
英語に詳しくないし、別に単語の意味が間違っていてもいいやと名付けたら、イルミナティと関連する単語だったんですね。
「これはあくまでも僕という個人の思想」(思想の多様性は素晴らしい)という想いを込めておりましたが、今後、不快に思う人が多ければチャンネル名の変更を検討しようと思います。
教えて頂き感謝いたします。
95様は単語と秘密結社の関係性など、よくご存じですね。
また何かあれば教えて頂ければ幸いです。 >>91
>>90はスレ主のことじゃないよ。
YouTubeでの顔出しって内容的に必要性感じないんだけどなにか理由があるのかな。正直言って二番煎じ三番煎じの目新しさのなさが伸び悩む敗因だと思います。 >>97様
率直にご意見を頂けてとても嬉しいです!
非常に参考になります。
youtubeでの顔出しの理由については、特に、顔を隠す理由が無かったためです。
僕の場合、保身の余地があると潜在意識から上がってくる情報が少なくなるという認識があるため、どちらかといえば、顔出しの方が保身が少なくなるかなと判断しました。
保身を無くすなら本名も明かせば良いと思ったのですが、以前、ネットで本名により活動をしていたので、こうしたカルマの法則に関する活動が”以前の活動に対する宣伝”のように思われる可能性が高いため、本名を明かしていません。
(本名については以前の活動で関わった人が多いため、その誰かを通じて明かされる結果になると思いますが)
目新しさの無さはとてもよく分かります。
ゼロから初めてプロになるのは5年〜20年かかる分野も多いと思いますので、動画もそのぐらい長期で試行錯誤を繰り返していけたらと思っています。
ただ、youtubeのプロを目指すこと自体は目的では無いので、手段に拘らず、少しでも誰かの役に立てる道を日々模索してます。 >>90
私は「聡明で常識がある」からこそ呪術によって困難を克服してきたのです。
現代においても権力者は権謀術策を実行する際に呪術を併用するのですよ?
庶民は知らないでしょうが、権力者は能力の高い呪術師に伝手があります。
私は権力者の縁戚なので密教系の高僧を紹介して貰えたというわけです。
現実世界における困難を克服するための道具として呪詛を用いることは、
超常的な存在を知っている者のみに与えられた特権だと思っております。 >>98
自分にはハマらなかったけど誰かの為に活動がんばって下さい。
>>99
あなたに謎の選民意識があるのは分かった分かった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています