アイカギは「二三三二二」ですが、ここで使用されたのは「二二三」のみ。「23」が余ってしまいました。
 ということは、この表はさらに次のように発展するということです。
┌─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┐
│七│八│一│二│三│四│五│六│七│八│一│
├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤
│C│B│I│H│G│F│E│D│C│B│I│
├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤
│十│一│二│三│四│五│六│七│八│九│十│
├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤
│@│I│H│G│F│E│D│C│B│A│@│
├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤
│〇│一│二│三│四│五│六│七│八│九│十│
├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤
│〇│I│H│G│F│E│D│C│B│A│@│
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│午│未│申│酉│戌│亥│子│丑│寅│卯│辰│
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│?│?│?│?│?│?│?│?│?│3│?│
│?│?│?│?│?│?│?│?│?│2│?│
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 どうやら、アイカギによって指定された箇所は23年の卯年に相当するようです。
 さて、これと附合する暦が、日本史の中に存在したでしょうか?
 実は、平成23年がまさにこの条件に当てはまります。
 ですから、この年が平成23年であるという前提で年表に西暦を書き加えてみます。