この「ひとつ」について
俺的ぶっ飛び比喩表現で説明しよう(笑)

自分の子供時代を思い出してほしい
人形やらミニカーやら色々な玩具を広げて
一人で遊んだ経験が一度ぐらいあるだろう
例えば右手に仮面ライダーの人形、左手に怪人の人形
といった具合に、そんな経験も無いなら
単純に右手と左手だけでもいい

それらただの物質を子供(自分)の勝手な想像で
善悪やら美醜やらの二極に分けて
会話させたり喧嘩させたりして遊ぶ
その子供(自分)が分けた二極のどちらかに
感情移入したりして遊ぶ(交互にかも知れない)

これつまり子供(自分)のサジ加減一つで善悪なんて
どうにでもなる、また、どちらにも感情移入
ドラマに填まり込みをしなければ
ただの物質が並んでるだけ。
初めから二極に分けなければ善悪すらない
これが創造主視点で「ひとつ」ということ。
自分が想像したいずれかのドラマに填まり込んでいたら
創造主視点には立てないが…

なぜそんな遊びをするか(したか)はわからない
ただし、二極に分けなければ、ただの物質が並んでる
だけで、会話も喧嘩も無い、遊べない
世界なんて子供(自分)の気まぐれな遊び
全ては“マーヤ”だなんて昔の人が言ってたな(笑)