不安にかられた自我は、他者と同じであることをよしとする傾向がある。だから、そんなに不安に駆られていない自我は、他者と同じで
あることをよしとしない。僕は別に人と違うことをよしとする訳ではないが、社会に縛られて自分自身がそのことで苦しんでたくさんの
ことを抑圧している人を見るとき、それは冗談にしか見えないのだ。自らの手で自ら作った妄想をベースにして、自分を縛っているのに、
「苦しい苦しい」と言っているのだから。それは単なるメロドラマでしかない。

●世の中で愚かなことをするのが本当に一番いいのだ。「なんて馬鹿なことをするんだ」っていうような愚かなことを、次から次へと
やっていけばいいのだ。それをやっていって、いかに病理的にならなくするかということ。だから僕は、離婚を勧めるし、自己破産を勧めるのだ。

●キーワードは「愚かさ」と「勇気」だ。しかしこの愚かであることの勇気を、なかなかみんな持てない。

●今、現代文明が必要としているのは、「やることを止めること」だ。不安をベースにして、いろいろやっている、そのことを止めることが、
より健全な社会になる方向性だと僕は見ている。「何もしないこと」をベースにした文明がもしできるとすれば、その不安を消すために何もしないことだ。
「不安の補償としての行為をしない」という文化ができあがれば、我々はより健全な母子関係を持てるかもしれない。

※「やることを止めること」が必要

●ヒマラヤの洞窟の中に住んでいようが、我々は世界内存在なのだから、スーフィーの言葉で言われる「世界の中にありながら世界に属さない」と
言うふうなところに行って欲しい。超えるんじゃない、世界にいながら属さないのだ。属さないということは縛られないってこと。
社会からどう思われようと、世間からどう思われようと、そんなことは関係ない。