1945 年 8 月 6 日から数日間の、仁科博士の行動については、
互いに矛盾する証言や資料が数多く残っている。
それらはすべて、博士のこの数日間のアリバイ作りのために捏造されたもののように見える。
広島へ向けて発った空港についてさえ、複数の証言がある。
一体なぜ、1945 年 8 月 7 日から数日間の仁科博士の足取りについて、
これほどまでに資料の矛盾があるのか。
終戦直前の原爆投下に関して、一般の日本人が習ってきたことは事実なのでしょうか。

陰謀論で片づけようとする人たちは、
少なくとも、大本営調査団の報告書に添付された「付表第三」についてくらいは説明してほしい。