BMD対応で2006年前後にイージス艦導入だった記憶では、あまりにも著しい短期間の急造・艤装であったため、乗組員の錬成の時間が間に合わないだとか、それはあまりよくない or それを達成した海上自衛隊はすごいだとか、どうだか自衛隊関連本に書かれていて(どっちだったか記憶は曖昧模糊)、マジックみたいだった。

その後に、みょうこうが1999年に能登半島沖不審船事件で不審船追跡に参加していて、臨検部署を発動したために、そのときの経験を買われた航海長の伊藤祐靖が任ぜられて、自衛艦隊直轄の特殊部隊の特別警備隊が発足したっていう経緯の話を聞いたときに、あれれ?となった。で、みょうこうの艦歴を調べたら、1996年には就役してて、3番艦で、
ネームシップのこんごうは1993年に既に就役してて、きつねにつままれたような気分になった。

BMD対応とか、衝突事故とかで、こんごう・あたごが2006年頃にクローズアップされてて、ちやほやされたりしていた記憶。
こんごう型も2隻しか建造されてなかった。

じゃあはたかぜ以降の空白期間はどうなるんだと言ったら、前に何度か話したように、舷側にアスロックランチャーみたいな形状で、尺取り虫みたいにぱたりぱたりと発射器が伸長して発射する、ばかみたいに小さな短SAMを搭載した武器が、
テレビ初公開とかいってて放送されてて、
防衛関連企業に勤めてる父親が、「あれは(あんなのは)わざとかっこよく見せるためにあんな凝ったギミックにしてるんだよ(意訳」みたいなことを言っていた。
いや、たぶん発射方式と、舷側に収めなければならない関係で、初速を確保するために発射器が伸長する必要からああいう設計になったのだと思うが。

本当に、人の腕みたいに小さい、シーカーはボクシンググローブ程度か何なら握りこぶしぐらいの、バカに小さい短SAMだった。スティンガーやサイドワインダーミサイルと同程度。
VLSなんて賢いものはなかった。