中華人民共和国の父と言われた毛沢東は、学生時代、周作人が中国に紹介した「新しき村」に出会い、
長沙西岸の湘江を隔てる岳麓山の麓に、新しき村の建設を目論み、そこでどのように生活するか計画を立てていた。

しかし、その時には地元の人間から理解を得られず実現には至らなかった。
だが、後に毛沢東によって創設された中華人民共和国の人民公社は、
この「新しき村」からその発想を得ている。