東海道について調べてて気づいたんだけど
豊臣秀吉の死去した場所が、大坂城から伏見城に変わった。
これも信長の野望から入って歴史書に歴史解説本とか調べてたからおおいに記憶に残ってるんだが、確かに豊臣秀吉は大坂城二の丸で死去したし、諸大名は大坂城に詰めてた記憶だった。
秀吉の死後に徳川家康が大坂城に居座れたのも秀吉に呼ばれたからだったのにそういう記載が無くなった。
伏見城は建設してすぐに大地震で秀吉が入居した直後に倒壊して多くの秀吉の政務官が死亡して、世間が秀次の怨霊のせいだと噂しだしたので、あっさり破棄され再建されなかった歴史だった。
それが被害が小さくなって城が再建されて秀吉が死去した城になってしまった。
後に徳川幕府が建てた伏見城とは別の城というのは変化ない。

なんか大坂はいろいろ変わってきてるなあ…高麗橋が東海道の大坂側の基点になったりしてるし、高麗って例の半島の国の名前だぞ?
秀吉は半島攻めて半島に関わったせいで改変されたのかな?って思えて来た。
あんまりこういう事をここスレでまで言いたくないが、おもいっきりKの法則発動って言われても仕方ないよね、これは流石に気味が悪い

とにかく豊臣秀吉の最後の地は伏見城ではなく大坂城だった記憶の共有者いたらレスください。共有なくてもこれ痕跡じゃねえ?ってもの発見した場合も情報提供レスくれたらありがたいです。