溝口敦が書いた『山口組ドキュメント 山口組五代目』にはこんなことが書かれている:「山口組vs一和会抗争には終始警察の影がちらついた。一和会との分裂からして警察の策したものであった。」「竹中正久が射殺された吹田の『GSハイム第二江坂』の所在について、当初大阪府警は寝耳に水、竹中の愛人が住み、竹中が通っているとは、と驚いて見せたが、何のことはない、84年6月には地元吹田署が探知、府警本部に情報をあげていたと、「ヒットマン裁判」で担当の巡査部長が証言した。」