当時の物流は海運が中心。港でストライキが起こることは防がなければならない。そして1952年に創設されたのが「港湾荷役協議会」だ。会長に就任したのは山口組の田岡一雄組長。その後、山口組が神戸港の荷役を管理することになり、東の重要港である横浜港を担当することになったのが藤木企業の藤木幸太郎だ。