広域暴力団と政府機関との関係も指摘されてきた。そもそも広域暴力団、いわゆるヤクザが出現するのは第2次世界大戦の後である。博徒やテキ屋の集団は存在したが、広域暴力団はなかったのだ。そうした集団が出現する切っ掛けは、1951年に法務総裁を務めていた木村篤太郎の「反共抜刀隊」構想だ。この構想は実現しなかったが、博徒やテキ屋は組織化されている。