おっしゃる通り、”善や悪に関する決めつけは不要”というのは長期的視点において正しいと思います。
その理由は、一見、間違った生き方をしている人が長期的に正しい道のりを歩んでいると思われるケースが多いためです。

この「善や悪を決めつけない」と言うのは、僕自身が”カルマの法則を知りつつも囚われない”という境地を目指すにあたって必要だと考えていたものです。
その境地を目指すにあたり現在つまづいているのは論理の破綻への恐れです。
幽界からの質の低い霊による意識への介入を僕自身も懸念していまして、そうならないために過去は【自身から現れる言葉に論理的整合性はあるか?】という基準で、いわば審神者を行ってきました。
過去の経験からして質の低い幽界から情報は論理的に破綻している事が多かったためです。

善と悪をきめつけずに自由に振る舞ってしまうと、そもそも論理的に筋道が通らない行動をする事になりがちで、それがゆえに、審神者も難しいというのが現状です。

これについては一応、仮説のようなものはあります。
「人間は短期的視点においては善と悪をある程度意識し、行動を選ぶことで精神向上を目指した方が良いが、ある段階まで来ると低次元による意識への介入がほぼ無くなるため、善と悪をとっぱらった考え方をしても全体における善を無意識に選べる」というものです。