人間関係で「こいつ斬るか」ってなる瞬間wwww
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全部の元凶はコイツなのにいつまでも知らないふりしてる奴 トラブルの原因は全てコイツなのに脳障害のふりしてる奴 やらかすから切ろうとしてるのに押しかけてきてやらかす奴 悪いことを注意する、悪いことを指摘することを悪口だと勘違いしてる奴 福岡で起きた5歳の息子を餓死させたママ友みたいな人間 どんな事情があろうとも、「デブが綺麗ごとを語ったら警戒せよ」
デブという時点で、自分は欲望に負けてガッツリ食ってます、という証明だからな 助けてを求めといて赤の他人の嘘丸だしの助言を鵜呑みにして信じちゃう奴 占い師とか言って適当なこと助言し始めるオカルト板住民 プライド高すぎて自分の比を認められず
謝罪もせずに
気持ち悪い言い訳をする奴
忘れて来た=漏らした
とかマジねーから(笑)
そんなんだから独身なんだよてめーは 対価を示さず要求だけ必死な奴
要求にだけ気合を入れるって、それ単なる恐喝だろが
どういうリスクを背負うからメリットを下さいっていうのが普通なんだよ 福岡の児童餓死事件のやり方がまんま
おまえらでワラタ
↓
はじめは様子見てるけど「ちょいちょい失礼なこと言ったりして」試してくる
その一線越えたときにスパッと切る
それができない奴は的にされる 結局、類友だよね
人それぞれタイプは違うけど、精神レベルが同じ程度じゃないと、上手くというか一緒に長くは居られない 人間関係の平穏な状態っていうのはプラマイゼロの状態
一方が損して一方が得する関係は、得する側は快適だが損する側は不快
大人はこれをプラマイゼロに近づける努力をするが、精神的に低いとこれに気付かない
結果、損してる側がそのコミュニティから逃げるしかなくなる
公私混同がヤバいのは現実的・生存的な利害が発生するから
プラマイゼロじゃない場合にこの状態に持ち込まれると簡単に人間関係は崩壊する
友達が生きていくための利害関係のある競争相手になる訳だ
だから利口な人間はこういったプライベートなエリアに踏み込まない距離感を作り、共存する
大人になってもこれが出来ないなら、誰から見ても味噌っかすの底辺グループ
まぁ理解できない奴は理解できないだろうし、そいつ等とは一生関わりたくない 部下が上司である自分の顔を忘れていて
思い出したかと思ったら
かまわん!斬れ!斬り捨てい!と雑魚に指示した時 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
"自称一生芸大志望"(笑)の出来損ないwwwwwwwwww『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ 利用してくるくせに見下してくる奴と宗教布教してくる人と相槌が否定から入る奴 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています