自分の外の世界に神がい無い訳は有りません、それらすべては神仏の心です
外に神がいないというのは、完全な誤りや嘘です

いったいどこに、モーゼやキリストや仏陀という民衆個々人の外の存在を汚し辱める狂人が居ますか
もしいたら、その人達の言動はどうですかどう判断しますか?

そとのすべては表面的で内在する本質が視得にくいということだけです、判断が難しいということ
しかしそれら「外の世界を見ているのは、個々人の認識」、これが個々人の認識の中に世界が在るということ

ただ個々人の意識とは多元構造、外の世界も多元構造、それらは連動しているということ?

その多元構造の深みや高みにすべての神仏(釈迦やキリストや国之常立神などなど)は居るということ

外の世界も神仏たちも、個々人が身の内を探る、認識を確かめたり改めたりしていくことによってのみ
視得ていく理解していけるということの「例え」が宗教や神示

様々に言い方を変えることで、より多くの様々な人たちの理解や開眼を促している

すべては本物であり、見える表面はその末端であり、学び合うための一時の幻。