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イザヤ書を原拠に「神殿はひとつ」という律法を破り、ふたつ目の神殿を造営する「救い主」
オニアス4世とは大祭司アロンの息子エルアザルの末裔で、レビ族ツァドクの一族。最も高貴な血統
オニアス4世はマカベア一族に対して「伝統的支配の正当性」を主張できる立場にあった。
しかし、その時に権力を握っていた大祭司ヨナタンから権力を奪還することに失敗。義の教師のようにエルサレムを脱出して、エジプトに逃れる
ヘーリオ・ポリス(太陽の町の意味)という州にある、レオントーン・ポリス(ライオンの町の意味)という町に、
「神はひとつ。神殿はひとつ」という律法(これはユダヤ教の命題であり綱領)を破り、エルサレムの神殿を模した神殿を作る。
その時、神学的根拠がイザヤ書19章18節から19節(>849を参照)に書かれているとして、神殿の造営を正当化する
(このことについては、ちくま学芸文庫発刊・ユダヤ戦記1巻28ページ・31節以降と、同3巻199ページ・421節以降にも詳しく記述されている)

参考箇所
ユダヤ戦記1巻28ページ、31節以降。
エピファネス(顕現王)と呼ばれたアンティオコスがシリアを巡りプトレマイオス6世と争っていたころ(前171年頃を指す)、ユダヤ人有力者の間で争いが起きた。
大祭司の一人オニアス(オニアス3世)は優勢になると、都からトビアスの子らを追放した。
彼らはアンティオコスの元に逃げ込むと、ユダヤに侵入する時は自分たちを道案内人として使うように彼に嘆願。アンティオコスは同意し、前170年頃、都に侵攻。
たくさんのプトレマイオス一派の者達を殺し、聖所を荒らし、3年6か月にわたって日々のいけにえの儀式を中断させた。
大祭司オニアス(オニアス4世)はプトレマイオスの元へ逃れ(前150年頃)、彼からヘリオポリス州の土地を下賜されると、エルサレムを模した聖所を創建。

他の重要と思われる参考資料

ユダヤ戦記3巻199ページ、421節以降。
エルサレムの大祭司のひとりシモンの子オニアスは、アンティオコスから逃げ出してアレクサンドリアへやって来ると、
プトレマイオス(前182−146年)は、アンティオコスへの憎しみから、オニアスを歓迎。
オニアスはエジプトの地に神殿を建て、神に奉仕するのを許してくれるなら、ユダヤ人たちを王の同盟者にすると約束。
その際「ユダヤ人たちはエルサレム神殿を荒らしたアンティオコスに対してさらに激しい敵愾心をもち、王に対してはさらに大きな好意を抱き、
 王の寛大な宗教上の措置のために、多くの者が王の元に集まるでしょう」と説得。
これをプトレマイオスは快諾。オニアスに土地を与えた。オニアスはそこに神殿を建てた。
オニアスが神殿を建てた動機は、エルサレムから追放された怒りを忘れることができなかった事と、その地のユダヤ人に対抗意識があったため。
そのためオニアスは、神殿を建てると、エルサレムから大勢の巡礼者を奪ってみせようとした
もっとも、800年前のイザヤ書19章18−19節の預言もそれにあずかっていた。