「右近の橘」は秦氏
「左近の桜」は鴨氏

を現す

この、平安京を築いた両氏へのオマージュ・モニュメントが
「右近の橘 左近の桜」
であるとずっと思って来ているんですけど、

それがどうして橘氏の氏神社に植えられたのか?

また、
「橘」(非時香果/ときじく)は
田道間守(タヂマモリ)命が日本に持ち込んだものですけど、
この田道間守は
天之日矛命の玄孫ぐらいだと言われている。

天之日矛は秦氏ではないですよね?

おそらく和気氏の祖
ですよね‥