ちょっと前になりますが(原発問題が云々されている頃でした)、
隣の高円寺か阿佐ヶ谷で原発反対のデモをやっているが、
まんだらけのある中野区でも「原発反対のデモ」をやるので協力してほしいとの申し出が民間の方からありました。
その協力とは「デモする人たちに対して、お店は何かしらのディスカウントやおまけを提供する」というものでした。
もちろん私がそのような申し出を受けるわけもなく、

「そのようなデモは一時的なものであり、自己満足のファッションとしての機能しかなく、
却って本来の原発の問題性を覆い隠してしまうことになる」
「やるのなら原発を管理していた政府や政府関係者をきちんと追求すべきではないか」
とお話ししたのですが、

「そこまでは・・誰も出来ないでしょう・・」

と言葉を濁されてしまいました。
つまりそこまでやるつもりはないのですが、とりあえず原発に反対して、デモをして、それで満足したいのです。
あるいはそれで自分自身を、自分たちの不安をごまかしたい、
自分たちなりの正義を見せびらかしたいのですが、それが偽善とは全く気がつかないようでした。

何度もいいますが原子力エネルギーは正しく使えば何も危険ではないですし、
怖くもないのですが、正しく扱えない自分たちを見ることなく、
すべてを原子力のせいにするというすり替えで正当化をしてしまっています。

2013/1/19 No.241