原爆にまつわる怖い話46
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関連サイト
ビッグ・アップル
ttp://www.mctv.ne.jp/~bigapple/
ページトップ:白骨の山 全身ボロボロ少女(大村病院)
Victim0 :こっち見んな
Victim1 :耳から肩ケロイド
Victim2 :立膝両手上げ
Victim3 :顔面〜大腿部前面火傷の男性
Victim4 :顔面と腕火傷ひび割れ
Victim5 :gisei34.gifと同じ(腹巻以外全部熱傷)
Victim6 :背中焦げてひび割れの女性
Victim7 :畳少女
Victim8 :鼻損失
Victim9 :顔面損傷下顎部損失で舌出し
Victim10 :治療中の頭部火傷から膿
Victim11 :背中〜後頭部火傷うつぶせ
Victim12 :西練兵場の兵士死体
Victim13 :顔面火傷の動員女子学徒・両手上げ
Victim14 :口元から首筋までケロイド
Victim15 :背中全面火傷の少年(カラー) 参考:オカルト板スレの即死条件
・スレ立てから3時間で10レス未満
・1週間(168時間)書き込みなし
過疎っている場合は保守書き込みのご協力をお願いします(上げる必要はありません) 広島平和祈念資料館
ttp://hpmmuseum.jp/?lang=jpn
改装後の常設展示
ttp://hpmmuseum.jp/modules/exhibition/index.php?action=FacilityView&facility_id=1&lang=jpn
平和データベース
ttp://www.pcf.city.hiroshima.jp/database/
旧バーチャル・ミュージアムより
「主な展示を見る」
ttp://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/vit_exh.html
「キッズ平和ステーションヒロシマ」
ttp://www.pcf.city.hiroshima.jp/kids/index.html
長崎原爆資料館
ttp://nagasakipeace.jp/
所蔵品検索
ttp://www.city-nagasaki-a-bomb-museum-db.jp/index.php
以下2サイトは閲覧の際、グーグル・アースプラグインのダウンロードが必要
(※ダウンロードページ ttp://www.google.co.jp/intl/ja/earth/download/ge/
下記サイト内からもダウンロード可。無料)
ヒロシマ・アーカイブ
ttp://hiroshima.mapping.jp/
ナガサキ・アーカイブ
ttp://nagasaki.mapping.jp/ 平和博物館
ttp://www.peace-museum.org/
広島原爆写真館
ttp://www.aeras.jp/abomb/
世界遺産『原爆ドーム』を24時間ライブ中継!!
ttp://www.mix-net.co.jp/live/live.html
学校HP内の記録および個人の手記など
ttp://www.urban.ne.jp/home/kibochan/miyakou/cg.htm
ttp://www.coara.or.jp/~ryoji/abomb/abombindex.html
原爆模擬弾パンプキン
原爆投下の練習として日本各地に50発も落とされたらしい
ttp://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-mogi.htm
長崎新聞HP内の証言
ttp://www.nagasaki-np.co.jp/peace/hibaku/index.html FAQ
Q:原爆で地面に人影が焼きつけられたというのは本当ですか?
A:「人影が焼き付けられた」と言われている石は旧日本銀行広島支店の
正面玄関石段(花崗岩)に残っていました。
現在、石段部分は保存され 広島の原爆資料館に展示されています。
ちなみに影を残した女性は投下数分前に現場を通った知人(生存)に目撃され、
ほぼ氏名が確認されています。
(この人は遺体を搬送されており、蒸発したわけではない)
また 最近の学術調査で、影の成分が石の成分変化でなく、炭素系物質である
ことが確認され、「影」ではなく人体の溶融物ではないかと考えられています。
Q:原爆で人は蒸発するのですか?
A:広島・長崎型の初期型核爆弾ではしません。
ただし爆心直下で外に出ていた人は致死量の放射線を浴び
即死する可能性が極めて高いです。
Q:爆心直下にいたのに命拾いした人がいるというのは本当ですか?
A:爆心地(島病院)の元安川をはさんだ対岸にある燃料会館
(現・平和公園レストハウス)に勤務していた野村英三さん(当時47)は
被爆当日の朝出勤し、原爆投下時にはたまたま書類を取りに
地下室に下りていて熱線や爆風を直接浴びることなく命拾いしました。
地下室は非公開ですが現在も保存されています。 エノラゲイの広島への原爆投下工程
8月5日 00:37 天候観測機3機離陸
8月6日 01:45 エノラ・ゲイ離陸
02:00 機内にて爆弾最終装填始まる
02:15 同作業終了
04:55 硫黄島上空到着
05:05 グレートアーチスト、ネセサリーイーブル合流、日本へ
07:00 機内にて乗員朝食
07:09 警戒警報発令
07:15 ストレートフラッシュより広島市上空の天候報告受信、勧告、主目標を爆撃せよ
07:31 同警戒警報解除
08:06 松永監視所 敵大型機2機、西北進中
08:09 同報告、3機に訂正
08:13 エノラ・ゲイ、西条上空通過、中国軍管区司令部「0813ケハ」命令
08:14 エノラ・ゲイ、目標、相生橋を捉える
08:15 原爆投下、離脱 グレートアーチスト計測器3個投下離脱、中国管区司令部警戒警報発令
08:16 リトルボーイ、地上570mで爆弾炸裂。投下高度9473m
12:00 乗員機内にて昼食
13:58 エノラ・ゲイ、ノースフィールドに帰投
18:00 乗員ノースフィールドにて夕食 ソース:『原爆災害 ヒロシマ・ナガサキ』(岩波現代文庫)
(距離は爆心地からのもの)
(死亡率;高度=100〜50%、中度=50〜10%、軽度=10〜0%)
屋外(開放)の場合;
〜1km 1〜2km 2km〜
▼外傷 高度 軽度
▼熱傷 高度 中度 軽度
▼放射線傷害 高度 中度 軽度
屋外(陰)の場合;
〜2km
▼外傷 軽度
▼熱傷 軽度
▼放射線傷害 中度(〜1.5km) 軽度(1.5〜3km)
木造家屋内の場合;
〜2km 2〜4km 4〜6km
▼外傷 高度 中度 軽度
▼熱傷 軽度
▼放射線傷害 中度(〜1.5km) 軽度(1.5〜3km)
コンクリート建築物内の場合;
〜2km
▼外傷 軽度
▼熱傷 軽度
▼放射線傷害 中度(〜0.5km) 軽度(0.5〜1.0km)
以上の事から分かる通り、初期型原爆の一次被害はそれほど大きくない。
原爆がものすごい威力で人が一瞬にして蒸発するとか、誤解を受けているのは
戦後、一部の半核団体等により、壊滅範囲や死亡者数が誇張されていた為
(例えば死亡者数約30万人、実際はその半分程度) 原爆に関する都市伝説
・原爆投下には事前予告があり、限られた人だけが知っていた。
・爆心地では原爆の熱線で一瞬にして蒸発した(全身が炭化して灰になった)人がいる(FAQ参照)。
・原爆投下直後の広島市街中心部を写したカラー動画(カラー写真)が存在する。
・エノラゲイ搭乗員は腕時計を携帯していなかった。
・原爆投下直後、救援を求める少女の声がラジオに流れた。
・原爆の熱線で人の皮膚がドロドロと溶ける
・かつて原爆資料館に展示されていた被爆者マネキンには目玉が飛び出しているものが存在した。
・資料館に展示されていた被爆馬の剥製標本は悪臭を発していた。
・原爆の放射線は健康によい。 ヒロシマ・ナガサキの悲劇を両方体験した方もおられるようです。
> 広島の被爆に関する相変わらずの大本営発表に憤慨し、広島の実情を伝え
> なければと被爆した身体で旧知の長崎市長を頼って9日の朝に長崎に到着
> し、そこで再被爆した、広島の地方新聞社の社長だか何かの役職について
> いたという人物がいなかったっけ?
> 別人かも知れないけど、
> 昔、二重被爆した人を広島のローカルニュースで見た。
> そのときは無傷だったけど、昭和30年に職場で倒れて以来、寝たきり。
> 天井から撮り下ろすようなカメラアングルだった。
> 奥さんが平和公園で働いていた。
ttp://www.bekkoame.ne.jp/~hujino/no26/26yamasaki.html
の冒頭
> ナース・キャップは、わたしの宝物
> 二重被爆元看護婦の車中談 山崎 優
> 1996年4月2日夕方。JR芸備線の列車内。「芸備線を走ると、あの日の事を思い出すんよ」。列車が広島駅を
> 発車した途端、偶々同席した郷土史会で顔見知りの婦人が呟いた。この呟きが私の心にひっかかった。
> 「それでーーー」と、水を向けた。婦人は堰を切ったように語り始めた。話しは、私が下車する迄のまる一時間に及んだ。
> 話しを総合すると、この婦人は昭和十九年から二十年の敗戦後にかけて、日赤の看護婦として長崎県の大村海軍
> 病院て勤務した。その間に出張中の広島で被爆。帰任した大村海軍病院で長崎の被爆者の救護活動に従事した。
> いわゆる二重被爆と言う数奇にして、過酷な体験の持ち主だったのだ。 http://www.pcf.city.hiroshima.jp/kids/KPSH_J/hiroshima/sadako/subcontents/08higai_3.html
千羽鶴のサダコさんのサイト内の↑の
中央付近に眼球が飛び出た写真がある
世界遺産『原爆ドーム』を24時間ライブ中継!!
ttp://www.mix-net.co.jp/live/live.html
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/hibaku/index.html
長崎新聞の被爆者体験談
ttp://www.pcf.city.hiroshima.jp/database/
広島平和データベース 8月5日12:37 天候観測機3機離陸
8月6日01:45 エノラ・ゲイ離陸
02:00 爆弾最終装填始まる
02:15 同作業終了
04:55 硫黄島上空到着
05:05 グレートアーチスト、ネセサリーイーブル合流、日本へ
07:00 機内にて乗員朝食
07:09 警戒警報発令
07:15 ストレートフラッシュより広島市上空の天候報告受信、勧告、主目標を爆撃せよ
07:31 同警戒警報解除
08:06 松永監視所 敵大型機2機、西北進中
08:09 同報告、3機に訂正
08:13 エノラ・ゲイ、西条上空通過、中国軍管区司令部「0813ケハ」命令
08:14 エノラ・ゲイ、目標、相生橋を捉える
08:15 原爆投下、離脱 グレートアーチスト計測器3個投下離脱、中国管区司令部警戒警報発令
08:16 リトルボーイ、地上570mで爆弾炸裂。投下高度9473m
12:00 乗員機内にて昼食
13:58 エノラ・ゲイ、ノースフィールドに帰投
18:00 乗員ノースフィールドにて夕食 ソース:『原爆災害 ヒロシマ・ナガサキ』(岩波現代文庫)
(距離は爆心地からのもの)
(死亡率;高度=100〜50%、中度=50〜10%、軽度=10〜0%)
屋外(開放)の場合;
〜1km 1〜2km 2km〜
▼外傷 高度 軽度
▼熱傷 高度 中度 軽度
▼放射線傷害 高度 中度 軽度
屋外(陰)の場合;
〜2km
▼外傷 軽度
▼熱傷 軽度
▼放射線傷害 中度(〜1.5km) 軽度(1.5〜3km)
木造家屋内の場合;
〜2km 2〜4km 4〜6km
▼外傷 高度 中度 軽度
▼熱傷 軽度
▼放射線傷害 中度(〜1.5km) 軽度(1.5〜3km)
コンクリート建築物内の場合;
〜2km
▼外傷 軽度
▼熱傷 軽度
▼放射線傷害 中度(〜0.5km) 軽度(0.5〜1.0km) 広島の原爆投下時の数分前に、無数の落下傘が落ちてきたという話を聞いた事がある。
なんでも、防空壕、屋内に入っていた市民をひとりでも多く屋外に出して、威力を高める
ためだったとか。
この話が、仮に事実だったとしても、その落下傘を眼にした市民は皆、死んでいる。
広島・長崎の原爆の正当性を、いくら米国人が主張したとしても、その後半世紀以上
たっても、実戦使用された例はひとつもない。(朝鮮戦争で使用しようとしたマッカーサー
はトルーマン大統領に解任された)米国人も倫理的な問題を感じているからだろう。
その意味で、HIROSHIMA,NAGASAKIの尊い犠牲は今も世界の遺産なのである。 長崎の被爆状況を撮影した写真。NEXTで進んでいきます。
ttp://www.exploratorium.edu/nagasaki/mainn.html
[内容]
表紙→英文→燃える街を背に歩く2人→おにぎりを持つ親子→
撮影者の言葉→焼け残った鳥居→焼け跡。中央に遺体→焼け跡→
焼けた馬車と被爆した馬→工場→遺体→防空壕にいて助かった少女→
火傷した弟を背負う少年→撮影者の言葉→焼死体の傍で立ち尽くす少女→
黒焦げの焼死体→撮影者の言葉→遺体?を運ぶ人達→撮影者の言葉→
遺体数体と怪我人。それをスケッチする画家→その画家がスケッチした絵→
横たわる被爆者、水を飲む女性、座る男性→怪我人の治療をする看護婦→
火傷を負った乳飲み子と、呆然とする母親→撮影者の言葉→表紙に戻る 西森先生の「血染めの白衣」
凄い・・・
ttp://www-sdc.med.nagasaki-u.ac.jp/n50/hakui/hakui-sjis.html >>7
なんかイラつくな。
国際法違反の虐殺しといて食事かい オカルト板で目立ちたいならこのスレ一択だよ今は。
魑魅魍魎の館で、まともに予言してるやつなんかいないw
なんでもありだ、好きなこと好きなだけ書き散らかせ。
深夜以外はアクティブ書き込み5人以上。毎スレ終わるまでに20人くらいが書き込む。
だからROMなんかもっと多いだろう。
勢いが違う、3〜4日でスレが終わるのだからな。
99%ゴミ書き込みだが1%真理と役に立つ情報ある。
( ´^A^)予言、預言、予知夢、直感など総合1058
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1607837657/ >>19
日本の真珠湾騙し討ち攻撃も国際法違反だけどな B29ってジャップが撃ち落としたのより
勝手に墜落したほうが多いんだっけ? マニラ大虐殺
20人を超す海軍兵士たちが13歳に満たない外見の少女を輪姦した上、少女の乳房を切り取り、そのうちの一人が自分の胸に切り取った乳房を押し当てて女の真似をし、他の兵士たちはそれを囃し立てた[3]。
海軍兵士たちは他複数名の女性も強姦した挙句、髪にガソリンを撒いて焼いた[3]。また、同じ現場ではロペスの使用人の一人 Bernardino Calub も当時2歳の息子を竹槍で突き殺され、下手人に仕返ししようとして袋叩きにされた挙句連行されたロペス邸跡のガレージの柱に縛り付けられ、性器を切断されて口内に突っ込まれた[3]。
姉マリア(Maria; 当時40歳)はクラブからの脱出に失敗して焼死し、義姉フリア(Julia; 当時28歳)は日本軍兵士に輪姦され、乳房を切断、髪にガソリンを撒かれて焼かれ、知人の女性も殺害後に死姦された
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A9%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA
日本兵が日本兵や現地人を襲って食べる人肉食事件が発生したとされるのもこの時期である。1944年12月に第十八軍は「友軍兵の屍肉を食す事を罰する」と布告していたが、これに反して友軍に対する人肉食が発覚した4名が処刑されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
男に対してはこれ
ある日、木に縛りつけられた3人の海兵隊員の死体を見てしまいました。ペニスが切り取られ口に押し込まれていました。それを見たとき、私はやつらを皆殺しにしてやりたいという怒りの気持ちが強烈に湧き上がってきました。やつらは仲間の死体を使って銃剣の練習をしていたに違いありません。3人とも体中に50ヶ所以上の刺し傷があったんです。
怒りに震えたままその場にいると仲間が「あの中にジャップがいるぞ!」と叫んだのです。私はゆっくりやつらのトンネル陣地に近寄りました。そこには通気孔があり、中を覗き込んでみると日本兵がこちらを見ていました。
私は銃をそいつの顔に突きつけて思いっきり引き金を引きました。そのまま銃口を振り回して8発の銃弾を撃ち込みました。やつらを蜂の巣のようにしてやりました。全部で17人の日本兵を皆殺しにしたのです。
(第5海兵連隊 R.V.バーキン伍長) 極悪ジャップ軍の悪行
・南京事件=数万人を虐殺
・マニラ虐殺=ジャップのせいで市民10万人が死亡
・旅順虐殺事件=無抵抗の捕虜や市民を1万8000人殺害
・シンガポール虐殺事件=反抗的な市民6000人殺害
・三光作戦=中国人を「殺し尽くす・焼き尽くす・奪い尽くす」作戦、レイプや略奪が当たり前だった日本軍
・花岡事件=捕まえた中国人を日本企業で奴隷のように働かせる、労働から逃げた中国人400人を拷問死
・白馬事件=オランダ女性35人を監禁レイプ
・ベイビューホテル事件=フィリピンで400人をレイプ
・生物兵器・化学兵器の使用=禁止されてる毒ガスを使いまくる
・重慶爆撃=爆撃を218回おこなう、後半は完全に絨毯爆撃だった
・小笠原事件
米軍捕虜8人を殺し その人肉や内蔵を食う
食べた日本兵は 「これは美味い。おかわりだ!」 と喜ぶ
・100人斬り競争
中国人捕虜100人をどちらが早く殺せるか2人で競争
最終的に600人以上殺す
競争は新聞で報道され大人気、帰国後は地元で講演会まで開いた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E4%B8%80%E8%A6%A7 昭和20年(1945年)
7月16日
米国ニューメキシコ州アラゴモードから約80キロメートル離れた砂漠の中で
プルトニューム原子爆弾の爆発実験に成功。
7月25日
「第20航空軍第509混成部隊は1945年8月3日以降なるべく早く、天候の関係上
目視爆撃を許す場合に、次の目標のうち一つに対し特殊爆弾1号を投下せよ」
「次の目標」は広島、小倉、新潟、長崎の4都市。一方原爆を積んだ重巡洋艦
インディアナポリス号はテニアン島に到着、原爆の主要部品を揚陸した。
8月2日
グアム島の第20航空軍司令部から「第20航空軍は8月6日、日本攻撃の第1目標
は広島市の工業地帯。攻撃時間は午前9時30分」の野戦命令第13号が発せられた。
8月6日
午前1時30分気象観測機2機を従えて発進した。広島時間8時15分9480メートルの
上空から投下。43秒後広島上空548メートル(日本側の測定は約600メートル)で爆発した。 8月8日
ついで野戦命令第17号が発せられ、主目標小倉、第2目標長崎となった。
(この日深夜ソ連軍は日本と交戦状態となった。)
8月9日
午前2時49分原爆搭載機「ボックスカー」号は小倉を目指して基地テニアンを出発。
(指揮スウイニー少佐、爆撃手ビーハン少佐)「ボックスカー」は予定通り小倉上空に
到着したが雲がかかっていて目標を捜すのに3回も旋回したが視認出来ず、燃料不足を
考慮してついに断念。第2目標の長崎攻撃に転じた。同機は小倉から南下し、遠回りして
熊本方面から島原半島を経て長崎へ向かった。
10時58分長崎上空に達した。雲量8、視界はほとんどきかなかった。ビーハン爆撃手は
レーダーによる投下の準備にかかった。
観測機はゾンデを落下傘に吊るして投下した。その時雲の裂け目の中に視界が広がり
スウイニー機長はそこに巨大な三菱兵器工場を見つけた。続いてビーハン爆撃手も雲間
から三菱長崎製鋼所を発見、高度3万フィート(約9000メートル)から原爆を投下した
投下と同時に機はすばやく反転し、11時2分、閃光と衝撃波を確認した後、東方へ向かって
脱出、ただちに米軍の手中にあったもっとも近い基地、沖縄へ向かった。
午後1時沖縄着陸。残り燃料わずか数ガロンであった。 「人影」の主と推定されるのは越智ミツノさん(当時42歳)
越智さんは空襲の激化に伴い20年春広島市皆実町の家宅を人に貸し
山口県に疎開していた。月1回家賃の徴収と銀行の利子の受取りの為
広島へ行く習慣で、被爆2日前の4日に疎開先を出発、6日に帰宅の
予定だったがそのまま行方不明に。ミツノさんは6日朝7時31分の
空襲警報解除直後、紙屋町の住友銀行へ行くと皆実町の家を出たこと
は同居人の証言がある。皆実町から市電利用だと紙屋町の住友銀行へ
は8時過ぎには着く計算になり、おそらくは8時半の開店を待って銀
行の玄関前に座っていたであろうと想像される。
昭和46年1月当時遺体収容にあたった元兵士が8月10日朝、住友
銀行玄関の石段で女性の遺体を収容したと証言した。
「数千度の熱で焼かれ、爆風で吹き飛ばされたが、ちょうど石段の上
の柱あたりにへばりついたように黒い塊が付いていました。頭はなく、
衣服も焼けてしまってまっ黒。腹部あたりにはすでに白いウジが湧い
ていました。遺体を取り除くと、石の上に緑色の影がくっきり残って
いました。それまで私はたくさんの焼死体を見てきましたから、骨格
だけで男女の区別はつきます。あの遺体は子供かと思うくらい小柄な
女性です。間違いありません。」 さらに当時同じ町内に住んでいた人から、被爆10分前に住友銀行の
入口でミツノさんを見かけ挨拶を交わしたという決定的な証言が得ら
れた。
「8月6日の朝8時頃、私はオート三輪で八丁堀を出発しました。住
友銀行の前を通ったのは、5分かもうちょっと過ぎたころだと思う。
すると、ミツノさんが玄関前の石段に座っていたので、「やあ、越智
のおばさん、元気かいね!」と声をかけると、満面に笑みを浮かべて
「ハーイ、元気ですよ!」と、答えたんだ。右手を上げてね。そのま
ま別れて御幸橋を少し渡ったとき、ピカに出合った。銀行で声をかけ
あって10分くらいだから、まずあのままあそこに座っとったじゃろ
うと思うよ」
これらの証言を受け、現在「人影の石」には「佐伯郡沖美町にお住い
の遺族の方から、この人影は、自分の母親である越智ミツノさん(当
時42歳)ではないかとの申し出がありました」と表示されている。
なおこの「人影」は最新の学術調査によって「影」ではなかったこと
が明らかになっている。
「広島に投下された原爆の熱線で人の影が焼き付いたと伝えられてきた、
広島市の平和記念資料館に展示されている「人影の石」は、有機物が付
いたものであることがわかった。資料館の依頼で奈良文化財研究所が調
べた。衣類や人間の皮膚などの生体成分の可能性があるが、断定はでき
なかった。」 長崎の縁側の少年はあの家の子じゃなくて避難してきた子だと
驚いた 家の形状だと爆風が吹き込んだだけだから、
人が中にいても死にようにないよね。 >>30
普通影が焼き付くことないわな。
光線が肉体をすり抜けなければならないし。
まわりが焼けて人の影だけ焼けずに
白く残ったということかと思っていた。
そういうわけでもないわけね。 私の夫は絶倫男です。しかもセックスが上手で、愛撫がとってもソフトなの。だから1日に何回もイカされるんです。
毎日要求されることも多く、疲れた日には「お願い、もうギブアップ」と、畳を叩いて助けを求めるほどでした。
こんなエッチ話をママ友の真希に告白したところ、「羨ましい。私はセックスレスだから、今度ダンナさんを貸して」と、しつこく言ってきたんです。
そんな会話をしている時、主人が帰ってきてクシャミをしたから、私たちは大笑い。「どうかしたのか?」と質問されたので、内容を全部話して…。
すると主人は、「今からやらないか?」と提案。彼はテレワークで家にいることが多くなり、暇を持て余していたわけです。
真希も「私はいいけど、流美はどうなのよ?」と聞くので「まあ、いいけど」と答えた瞬間、彼女の目がランランと輝きました。
それから「真希さん、俺とキスして流美を嫉妬させてやろう」と唇を奪い…。
すると彼女は、今まで見せたこともないような陶酔した顔を平気で晒したんです。夫は彼女のパンティーの中へ手を入れ、私に向けて濡れた指を見せました。
四つん這いにさせて交互に穴を行ったり来たり…
猛烈に不愉快になったので、「先に私が挿れるね」とマウントを取りたくて、うずうずしていました。
ところが夫は、「お客様優先だ」と真希を四つん這いにさせて、長いペニスを奥まで差し込んだのでした。
「いやぁ〜っ、長い、長いよ。こんなの初めて」
驚くほど甲高い声でよがりまくる真希。夫は乱れる彼女を冷静に観察しながら、「お前も横について同じ格好をしろ」と命令します。
すると夫は、「ずいずいずっころばし」と言いながら、交互に私たちの穴を行ったり来たり…。それもかなり奥深く刺すわけです。
先に責められていた真希が、ついにお尻をガタガタと震わせながら倒れ、失禁しながら達しました。
夫は、薄目を開けながらじっと私たちの結合部分を見つめている彼女の前で、激しいピストン運動を続けます。
やがて「ははあっ、参った。もう許して、死んじゃう〜っ!」と叫びながら私も昇天しました。
見られながらすると、こんなに気持ちいいなんて意外で…。結局、ママ友はこの日から「セク友」になっちゃった。 死んだおんなのこ
扉を叩くのはあたし。あなたの胸に響くでしょう
小さな声が聞こえるでしょう。あたしの姿は見えないの
10年前の夏の朝、あたしは広島で死んだ
そのまま6つの女の子。いつまでたっても6つなの
あたしの髪に火が付いて、目と手が焼けてしまったの
あたしは冷たい灰になり、風で遠くへ飛び散った
あたしはなにもいらないの、誰にも抱いてもらえないの
紙切れのように燃えた子は、美味しいお菓子も食べられない
扉を叩くのはあたし。みんなが笑って暮らせるよう
美味しいお菓子が食べられるよう、署名をどうぞしてください
木下航二作曲、ナジム・ヒクメット作詞、飯塚 広訳詩 高度がかなり低い。別の偵察機から撮ったものなのか。 池田ソメ「うめぼし」
そりぁ あの時ゃ ナンデガンスヨ
茶の間のガラス戸棚といっしょに
ころげたんでガンス
ガラガラ ガラガラ 揺れる拍子に
屋根の上へ ずり出たんでガンス
ずり出る言うても 出られぁしまへんけ
出して貰うたんですよね まあ
神さんか仏さんに
やれ難儀や
やれ痛や
早う息が切れりゃ
参らせて貰えるんじゃに と
梅干を口に入れて貰うたんは
三日目の朝でガンシタ
「この婆さん死んでしもうたか
かわいそうに
南無アミダ 南無アミダ」
と わしの顔を撫でんさった
「生きとる 生きとる」言うたら
大けな梅干を
わしの口へ 呉れんさった
梅干言うもんは いいもんでガンス
その梅干の おかげでガンシタ
わしは元気が出ましてなあ 栗原貞子 『うましめんかな』
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちはローソク1本ない暗い地下室をうずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえその中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女が産気づいているのだ
マッチ1本ないくらがりでどうしたらいいのだろう人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と言ったのはさっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな生ましめんかな己が命捨つとも 受信料も払っていないのに、今年も紅白歌合戦を彼と見ていました。やはり大みそかは、コタツでみかんを食べ、ゴロゴロして過ごすのが一番落ち着きます。
振り返ってみれば、今年はコロナの影響で2人そろってボーナスがなしに…。いろいろ大変だったけど、来年はいいことあると期待したいです。
こうして激動の1年を振り返っていると、いきなり彼が「俺たちも紅白ヌキ合戦やろうか?」と提案してきたんです。
「何? そのヌキ合戦って?」
「交互に何回イカせられるかを競うんだよ。まずは俺から責める。先手必勝だ」
彼は、私のパジャマを素早く脱がして、女性器を丸出しに。それから、ペロペロと舌をクリトリスに這わせた後、「舌セックスだ」と、すごいスピードで膣口に舌を出し入れしたんです。
これは今まで、一度もされたことがないテクニックだったから、すごく感じてしまいました。彼の舌がこんなに長かったなんて意外だったし、性交痛もないから「ああっ、イク…」と、体が小刻みに痙攣してすぐに昇天。
「次は紅組の番だ。溜まっているんだから、早く抜いてくれよ。何寝てんだ?」
私は揺さぶられても、なかなか起き上がることができないほど体力を消耗していました。
それでもやっとの思いで半勃ち状態のペニスをパクッと口に含み、フェラをします。20回ほど往復した時、ピクピクとそこが痙攣して硬くなりました。これは間違いなく射精の合図。
このままお口に出すのはもったいないので、彼に跨って上に乗りました。さっきイッたばかりでクリトリスが敏感になっているせいか、快感がどんどん高まります。ついには、恥ずかしさも忘れ「ああっ、毎日したくなるくらい気持ちいい」と叫びながら、腰を振っていました。
「ううっ、先に出るよ」
「私もイク〜ッ!」
だいぶ溜まっていたのか、すごい量の精液が私のアソコから流れ落ちます。
「次は…白組よ。勃って」
「もう無理。ヌキ合戦は仲よく引き分けってことで」
2人でうたた寝していたら、紅白はもう終わっていて「ゆく年来る年」が始まっていました。「明けまして、おめでとうございます」の言葉を聞きながら、彼は小声で「今年もハメましょう」と言って、強く抱きしめてくれたのでした。 >>43
やっぱりアメ公は嫌いだわ
同盟国とは名ばかりで対中露の戦略拠点でしかないし地位協定の不平等ぶりといい もうすぐ新年だというのに、なんとなく気分が沈み、久々に元カレのアパートを訪ねることにしました。
コロナで仕事を失い、どん底の状態だけど、明るい性格の彼に会えば、自分が変われるんじゃないかと思ったんです。
築60年が自慢だと言っていたアパートを訪ねると、ボロボロのTシャツに長髪の彼が、「よく来たな」と笑顔で迎えてくれました。
だけど、裸電球が眩しくて、つい目を細めてしまいます。しかも、貨物列車が通ると部屋がガタガタと揺れるんです。
「年に一度の贅沢だ。酒もちょっぴり飲もうや」
一升瓶に少しだけ残った日本酒を勧め、すでに酔いが回っていた彼は上機嫌です。彼は電球を指して「これ、今は製造中止になっているんだ。手に入れるのに苦労したんだぞ」と自慢します。
確かに今はほとんどがLED照明なので、熱くなる電球自体が珍しいのは確かです。彼は私の胸をイヤらしい目で見ながら「電球だって裸になっているんだから、お前も脱げ」と、強引にセーターを脱がせました。
「おおっ、いいブラしてるじゃないか? 俺は全部古着だから、新品は眩しいよ」
こう言いながらジーンズも下ろして、パンティーに鼻を当てます。
「風呂に入ってきたな? 俺の鼻は誤魔化せないぞ」
「だって、銭湯行くの面倒だし、寒いから」
彼は私の割れ目に沿って舌を這わせ、クリトリスと膣口を優しく舐めました。すごく感じてしまい「はああっ、すごい。感じすぎちゃう」と、恥ずかしい声が漏れます。
「外は今日も雨か…。やがて雪になって、俺たちの心に降り積もるのかなぁ」
彼はロマンチックなフレーズを言いながらも、腰を激しく動かします。こんなカビ臭い部屋で年を越そうとしているけど、心は温かくて気持ちよさも最高。
だって、長さと角度が私にピッタリ合っているんだもん。男女の相性って、性格と同じくらいセックスも大事って気づきました。
「ああっ、もっとメチャメチャにして! イキそう。ああん、もうイク〜ッ!」
グッタリしたまま肌を重ねていると、遠くで除夜の鐘が聞こえました。舞い落ちる雪を見ながら、私の心は決まりました。新年早々、青年実業家との婚約を破棄し、彼を選びます。 妹が家の下敷になって泣き狂っていた。
・・・・ハリはびくともしなかった。
・・・・水兵さんも「だめだ」と言って行ってしまった。
・・・・向うから矢のように走ってくる人が目についた。
・・・・女の人だ。はだからしい。むらさき色の体・・・
「あっ、おかあちゃん」・・・・
・・・・もうこれで大丈夫と思った。
隣のおじさんが力んでみたが、ハリは動かない。
「あきらめんば・・・仕方のなか・・・」申し訳なさそうに
・・・向うへ行ってしまった。
火が燃え上がって来た。お母さんの顔が真青に変わった。
お母さんは妹を見下ろしていた。
妹の小さい目も下から見上ていた。
お母さんはズウーと目を動かしてハリを見渡した。
ハリの一ヶ所に右肩をあてた。「ウウウ」全身に力をこめた。
バリバリ・・・・妹の足がはずれた。
お母さんはそのままヘタヘタと腰をおろしてしまった。
お母さんはお昼のナスを畑でもいでいたとき
バクダンにやられたのでした。
髪の毛は赤く短く縮れて切れていた。
体じゅうの皮はジュルジュルになっていた。
さっきハリをかついだ右肩は
皮がペロリとはげ
肉があらわれ、赤い血がしきりにでていた。
やがて・・・・お母さんは苦しみはじめ
もだえもだえて、その夜死にました。
(荻野美智子/長崎で被爆、当時十才) 原爆で大量の孤児が発生した。手足を失ったり、失明したり何らかの被爆による傷を負っていた。
両親を無くし、天涯孤独となった彼らは弱い者は飢えや寒さで野垂れ死に。残った子も日々の食料
確保で必死。10才の両手片足を失った少女が口と唯一残った片足の指ではさみを使い、口で針を
咥え裁縫の内職をして生計をたてる。闇市の形成と共に、やくざが台頭し、孤児となった子らを
囲い込み鉄砲玉として対抗するやくざに差し向ける。死んでも後腐れがないからだ。
失明した孤児も多い。兄弟のたった2人で生き延びて失明した弟を兄がかっぱらいや廃品回収の
仕事でなんとか生活する。牛小屋のようなバラックで。
孤児を引き受ける寺も多かったが、そこで行われていたことは孤児を使って過酷な農作業をさせて
いたのだ。食事も粗末なかゆ一杯で死ぬ者もいた。栄養失調で全身ぶつぶつが出来ているのに医者
にも行かせない。政府から孤児を引き取ると保証金をもらえる上、過酷な搾取で坊主が丸儲けして
いたのだ。だから広島では孤児となった者の多くが悲惨な目にあっていた。辛い現実に耐え切れず、
ヒロポン中毒となる者が後を断たなかった。 警備隊が連れてきた三菱兵器の動員学徒たちの傷には、三日も泥の中で寝ている
うちに蛆がわいていた。はじめは背中の拳のはいるくらいの傷が、真っ白く光って
盛り上がっているのを見て、「飯粒でもつめてあるのか」と思った。飯粒と見たの
は、白い蛆の大きなかたまりだった。傷の中に、握り飯をつめたように、びっしり
蛆がつまっている。(略)私はピンセットで蛆を一つ一つ取り出した。ピクリ、ピ
クリと動いてつまみにくい。時間がかかる。何度もやっているうちに、私もM君も胸
がムカムカしてきた。こういう患者が百人からこの廃墟にのたうっている。(略)
「長崎で被爆した医師の手記より」 木下家の娘さんで城山小学校の教師をしている女性が、被爆後三日目の今日になって
背中にハリネズミのように無数のガラス片を刺したまま、泥まみれになって帰って
きたというのである。私はすぐ木下商店へ出かけて、彼女の背中の傷を診た。背中一
面のガラス片には、思わず顔をそむけたくなる。カンカン照りの暑さの中で膚に粟を
生じる。一センチ長径、二センチ長径の三角、四角のガラス片が五十個、六十個、数
えることができない。突き刺さるということは、ガラス片のもっとも鋭角な部分が、
皮膚を通し筋肉を貫いて肉体に深くもぐりこんでいることである。ピンセットでガラ
ス片を摘まみ引き抜こうとしてもなかなか抜けない。力いっぱい引っ張って、かろう
じて一個のガラス片が抜けるというありさまだ。私はこんなに深く筋肉の中に食い込
んでいる異物傷は、これまで見たことがなかった。彼女はあの日の午前11時、城山
小学校の教員室で、窓を背にして坐っていた。背後の窓ガラスに直角に当たった爆風
の強力な圧力は、それを粉砕すると同時にものすごい力で背中に吹きつけ、薄ものの
夏のブラウスを貫通して背の筋肉に突き刺さった。瞬間二百メートルの爆発力では、
たまったものではない。(続く) (続き)
私はガラス片の付け根にマーキュロを塗り、ピンセットで引き抜く。そのたびに
彼女は激痛に耐えられず、悲鳴をあげた。一個のガラス片を抜くのに、ずいぶん
時間がかかる。あまり深く食いいったガラスは、古い切れ味の悪いメスで切って
またピンセットで引き抜く。そのあとをふたたびマーキュロで消毒する。
「もうやめてください」彼女は痛みと疲労と衰弱で、喘ぐようにいう。私も疲れ
た。だが残りはまだ無数、背中一面のガラス片である。「またあした取りましょ
う」私は立ちあがって、ふたたび本原の道をとぼとぼと歩きながら考える。深い
ものは脊椎筋か肺臓に達しているかもしれない。あんまりひどすぎるじゃないか。
「長崎で被爆した医師の手記より」 >>59
光線で失明は多いだろうに。
なかなか議題にのぼらないな。 目立ちたいならこのスレ一択だよ今は。
まともに予言なんかしてるやついないw
なんでもありだ、好きなこと書き散らかせ。
深夜以外はアクティブ書き込み5人以上。毎スレ終わるまでに20人くらいが書き込む。
だからROMなんかもっと多いだろう。
勢いが違う、2〜4日でスレが終わるのだからな。
( ´^A^)予言、預言、予知夢、直感など総合1073
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1611008940/ とびらをたたくのはあたし
あなたの胸(むね)にひびくでしょう
小さな声が聞こえるでしょう
あたしの姿は見えないの
2.
十年前の夏の朝
あたしはヒロシマで死んだ
そのまま六つの女の子
いつまでたっても六つなの
3.
あたしの髪(かみ)に火がついて
目と手がやけてしまったの
あたしは冷い灰になり
風で遠くへとびちった
4.
あたしは何にもいらないの
誰にも抱いてもらえないの
紙切れのようにもえた子は
おいしいお菓子も食べられない
5.
とびらをたたくのはあたし
みんなが笑って暮せるよう
おいしいお菓子を食べられるよう
署名をどうぞして下さい あの閃光(せんこう)が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え
渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルデイングは裂け、 橋は崩れ
満員電車はそのまま焦げ
涯(はて)しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
やがてぼろ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿(のうしょう)を踏み
焼け焦げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列 石地蔵のように散乱した練兵場の屍体(したい)
つながれた筏(いかだ)へ這いより折り重なった河岸の群も
灼けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光(かこう)の中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり
兵器廠(へいきしょう)の床の糞尿のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、 片眼つぶれの、 半身あかむけの、 丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭のよどんだなかで
金ダライにとぶ蝿の羽音だけ
三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩(がんか)が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか アホ「刺し身うめええ!」
ワイ「ほーい(醤油を取り上げる)」
アホ「なにすんだよ!」
ワイ「うまいんでしょ?別にいいじゃん」
アホ「醤油が無いと味しないだろ!」
ワイ「んー?それって刺し身は醤油の味しかしないってことじゃね?」
アホ「あっ…」
大事なことに気づけたようやね 昭和二十年八月六日、その日は忘れられない原爆の落ちた日です。今でもその時の
ことを考えると、身ぶるいがするようです。(中略)
ひがいを受けた者は、皆似の島に行けということでした。私たちも、そこにいくこ
とにして、川から船に乗りました。お母さんのすわっれいる前に、私と同じ年くら
いの女の子がいました。その女の子は、体中にやけどや、けがをしていて、血がな
がれていました。苦しそうに母親の名前ばかり呼んでいましたが、とつぜん私の母
に「おばさんの子供、ここにいるの?」とたずねました。その子供は、もう目が見
えなくなっていたのです。お母さんは「おりますよ。」と返事をしました。すると、
その子供は「おばさん、これをおばさんの子供にあげて。」と言って、何かを出し
ました。それはその子供が朝学校に出かける時、その子供のお母さんがこしらえて
あげたおべんとうでした。お母さんが、その子供に「あなた、自分で食べないの?」
と聞くと「私、もうだめ。それをおばさんの子供に食べさせて」と言ってくれました。
私たちは、それをいただいた。しばらく川を下って船が海に出た時、その子供は「お
ばさん、私の名前をいうから、もし私のお母さんにあったら、ここにおるといってね。
」と言ったかと思うと、もう息をひきとって死んでしまいました。私は、その子供が
かわいそうでかわいそうでなりませんでした。私はお母さんといっしょに泣きました。
今その子供が生きていたらどんなにうれしいかわかりません。
似の島について、しゅうよう所にはいると、そこは、けがや、やけどをしている人で
いっぱいでした。中には、気ちがいのようになって、かん者の中を走りまわる人もい
ました。今それらの人が、やけどや、けがをしていなかったら、そして生きておられ
たら、そして又、船の中にいた子供がやけどをしなくて生きていて、その子供のお母
さんにあうことができたら、私はどんなにうれしかったことでしょう。
広島で被爆した少女(当時小学校三年)の手記(長田新編「原爆の子」より) 忘れもしない昭和二十年八月六日、私の胸にはこの日のことが深く刻まれている。
私もあの時、かけがえのない父母や兄弟姉妹を失った一人なのだ。みんなあの原爆
のために、次から次へばたばたと倒れていった。上の兄は、勤労奉仕にいったまま
で行方不明。下の兄は、全身に火傷をおって、あくる日に乙斐小学校でなくなった。
(略)どうにか家についたと思ったら、母はちょっと前に息をひきとったというこ
とだった。私はそのとき思うぞんぶん泣いた。母の死体は河原のはらっぱで焼いた。
あっちでもこっちでも、人の死体をたくさん焼いていた。そして母の遺骨を持って、
その晩田舎のおじさんの家についたと思ったら、すぐ姉がなくなった。まだ小さか
った私は、どうしてよいかわからなかったが、あとに残った父と妹の看病を一生懸
命になってした。だが、かわいかった妹も、姉の葬式のすんだあくる日に、また死
んだ。父は姉の葬式には出ることが出来たが、妹の葬式には、もう出る気力はなく
なっていた。(略)こうして次から次へと、みんなが死んでいき、一番最後にのこ
った父は、よほど心細かったに違いありません。だのに、私が父に、「お父さん、
今朝はどんなの。」と聞くと父はいつも「今朝は少しはよくなったよ。」と言って
は、私を安心させようと思っておられました。一方体の方は悪くなるばかりでした。
九月十日の朝、父は後に一人残った私のことを心配しながらこの世を去った。父は
死ぬ前にも、よく「お父さんは、死にたくはない。原爆で家も服も焼かれたから、
ぼろを着ても、田舎にいて二人で百姓をして行こう。」といっておられたのに・・・。
(略)
広島で被爆した少女(当時小学校二年)の手記(長田新編「原爆の子」より) 長崎の教会の上に原爆を落としたアメリカってすごいな 子どものいない私は、甥を我が子のように可愛がっていました。そんな彼が最近、私に興味を持っているみたいで…。
ダンナはパプアニューギニアへ単身赴任中なので、先月から甥は頻繁にウチに来ています。私の姉と折り合いが悪いみたいで「母さんは嫌いだ」と、何度も愚痴を聞かされました。
意外に彼はエッチな子で、先日も「オナニーした経験あるの?」と突然聞いてきました。恥ずかしいから無視していると、今度は「生理前のうずいた体は、どうやって鎮めるの?」と質問してきたんです。
「そんなの答えられるわけないじゃない。本当にもう」
「性欲はないってこと?」
「人並みにあるけど!」
こう言うと、優しく髪を撫でてくれました。偶然ですが、そこは触れられて一番心地いい私の性感帯。毛穴の一本一本、鳥肌が立つほど感じて思わず「はあっ…」とため息が漏れました。
「成績はずっとビリだったけど、セックスは優等生だっていう自信があるんだ」
ドヤ顔をしたままキスして…。初めは唇を軽く重ねるだけで、徐々に舌先が口内に入ります。当然ですが、こんなことをされて濡れないはずがありません。
続いてスカートの中へ手を入れて、ショーツの上からそこを圧迫しました。すぐに愛液が滴り、クロッチを貫通して…。
罪の意識はあるのに反応してしまい…
「かなりの濡れ具合。近親相姦はいけないことだから、よけい燃えるよね?」
今度はスルスルとショーツを下げて、下半身だけ裸にされてクンニの嵐。あまりに心地よくて腰を振ってしまい、「ダメ、許して…」と抵抗しながらも、クリトリスを自分から彼の舌先へ擦りつけていたのです。
「俺のオチ○ポでイキたいんじゃないの? ねぇ?」
そう言われて、何度もうなずいてしまいました。罪の意識はあるのに、体は正直に反応してしまい…。やがて若々しい男根が体を貫きます。
「ああっ、気持ちいい…」
ニヤッと笑いながら、征服した気分でこちらの顔をじっと見て再びキス。同時に腰の動きがだんだん早くなりました。
「はぁ、もうイク…」
体の力がガクンと抜けて、快楽は頂点に…。甥の前で自分から何度も股間をペニスに擦りつける、メスと化した自分がいました。
禁断の果実はとても甘く、もう自分の心にブレーキをかけるのは無理かもしれません。 瀕死の挺身隊女子が処女を捧げたいという話あったよね。 >>78
さすがにまずいと思ったから、
長崎市長をアメリカに呼んで
買収して、浦上天主堂の建て替えを命じた。
ローマ法王からキリスト教の敵と
呼ばれる事を怖れたのかな。
長崎市議会では戦災の記録として
保管せよと述べる議員もいたのに。 浦上は被差別地域なので、
遺構保存には熱心でなかったという話もある。 >>83
現ローマ法王はナガサキに深い関心を寄せてるんだよな
ホントアメリカは上手くやったよな、今なら間違いなく突っ込まれてるわ
>>84
浦上が被差別地域なのと隠れキリシタン迫害地域だったのはどっちが先だったのか
まあ戦争になったらもう神も仏もありゃしないからな実際は >>85
>アメリカ
ところが現在は少しずつ
「日本への原爆投下ってアメリカの戦争犯罪じゃね?」
という声が上がっているようで
今後どうなるか個人的に注目しているw
>浦上
被差別地域だから隠れキリシタンが潜伏したのか
隠れキリシタンが多くいるから被差別地域となったのか
個人的には卵と鶏どちらが先か論な気がしないでも無い
これも個人的な推測だがキリシタン入信者の多くは
被差別民や貧民といった既存宗教の救済対象から
除外された人々だったろうと思っている
(※領主がキリシタンかキリスト教に寛大だった場合を除く) >>85
浦上のキリシタン地域に、
それを監視する非人の地域があった。
これは原爆スレの基礎知識。 Googleマップで長崎の爆心地から長崎駅まで行った。 “邦画がつまらない”と感じる理由は?「泣かせたいにしても、もうちょっと工夫しろよ」「テレビで見る役者やアイドルばかり」
https://news.livedoor.com/article/detail/17676005/
近年、邦画のヒット作といえばアニメ作品が多い。
2019年邦画興行収入1位は「天気の子」(140億2000万)で、上位5作品中4作品がアニメ映画だ。
邦画はアニメで好調と言えるが、いわゆる"普通"の映画はどうだろう。
ガールズちゃんねるに1月14日、「邦画がつまらないのは何故ですか?」というトピックが立ち、邦画がヒット作を出せていない原因についてコメントが寄せられた。
トピ主は、漫画やアニメなど原作がある作品の実写化ばかり、似たようなキャストばかり、恋人が難病で死ぬラブストーリーばかりと、お金を払って映画館に観に行こうと思う邦画はまったくないと不満を語る。
「恋人が死ぬんだよ?可哀想でしょ?泣けるでしょ?っていうのが透けて見える」
トピックにはシナリオに関する不満の声が相次いだ。
「恋人が死ぬんだよ?可哀想でしょ?泣けるでしょ?っていうのが透けて見えるような映画が多い。『泣かせたいにしてももうちょっと工夫しろよ』と思う」
「のっぺり始まって盛り上がるのかと期待するんだけどそのままのっぺり終わって。感想が『だから?なに?』ってなる」
「なんやかんやあった後に恋人や家族が死ぬ」というワンパターンなシナリオや、展開にメリハリがなく何を伝えたいのかもわからず、見終わった後に何とも言えない気持ちになる作品が多いという声が多く見られた。キャスティングに関するコメントも散見される。
「映画スターがいない。テレビで見る役者やアイドルばかり」
「ハリウッドみたいに映画俳優とテレビ俳優って住み分けしてたら映画も特別感が出るのかも」 邦画だと、トレンドの俳優が起用されることが多い。「この前はドラマで冷酷な役をやってたけど、この映画ではハートフルな役だな」とテレビ・映画問わず多くの作品に出演するため、特別感を得られなくなってしまう、ということだろう。偏ったキャスティングは"事務所のゴリ押し"が透けて見えると指摘する人もいる。
「お金のかけ方が違う気がする。やっぱり邦画は洋画と比べて安い感じがするかな」
「私は邦画も洋画も好きだけど、お金のかけ方が違う気がする。やっぱり邦画は洋画と比べて安い感じがするかな」
邦画に厳しい声が相次ぐ中、洋画を称賛するコメントも多く寄せられた。
海外映画は予算のかけ方が豪快だ。
製作費10億円というと日本なら超大作映画となるが、ハリウッドだとまだまだ低予算の範疇になる。
かけられているお金が違うため、洋画は迫力満点な演出が見られるという声が多い。 この世界の片隅にはいい映画だと思うけど...
ほとんどグロシーンは無いし 【戦争】元陸軍水上特攻兵が「広島原爆投下」直後の遺体収容の惨状語る
1945年、原爆投下直後の広島で遺体収容に従事した元陸軍水上特攻兵の喜多康巳(こうじ)さん(85)
が30日、大津市中庄2丁目の自宅で、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市)の被爆者証言
ビデオの収録を受けた。
原爆投下の瞬間や被爆直後の人々の惨状を克明に語り「二度とあってはならない」と記録に残す
大切さを訴える。
8月6日の朝、喜多さんは爆心地から十数キロ離れた江田島の水上特攻基地で出撃命令を待っていた。
空襲警報が解除された後、広島上空に飛来した米爆撃機B29から「毛布にくるんだような横に長いもの」
が落ちるところを見た。
次の瞬間ぴかっと光り「飛び上がるほど熱かった」。外へ出ると、きのこ雲がもくもく上がっていた。
部隊は広島に急行。爆心地を流れる川には、熱線や爆風を逃れようとした人が折り重なって浮いていた。
喜多さんは一体一体遺体を担ぎ出して焼いた。
はだしで川へ入って何かを踏んだ同年兵が2、3時間後に亡くなったため、重い軍靴を履き、約10日間
任務を続けた。
「水を飲んで死んだ人間は重たい。それをいまだに覚えている」
と話す。横倒しになった市電の遺体収容ではむごい光景に出くわした。
息絶えた妊婦と赤ちゃんを発見したが、へその緒がつながったままだった。 >>95
年齢がおかしい。
十年くらい前の記事のはず。 郊外の農村に住んでいた双方の両親の元を離れ、市内に住んでした(多分町名も聞いてたけれど、地元じゃないから忘れた)祖父母。
その日、自宅の台所にいた祖母は、皮膚ににちりちりとした痛みを感じたらしい。
(なんだろう?)
と思った次の瞬間、大音響と共に、地震のような振動で家具は倒れ、陶器は跳ね回った。
理由も判らず、土間に叩き付けられた祖母は、地震で家が崩れると思って、外に飛び出した。
祖母の目に飛び込んできたのは、真っ赤な光。火災なのか、ピカの光なのかは覚えていないと言った。
祖父の勤めていた工場の方角が燃えている事に気が付いた祖母は、おひつに水を汲んで消火の手伝いをしようと走った。
そして、駆ける事30分ほど(草履だったし、足が遅いので駆け足程度の速度)炎で進めなくなり、結局周りと一緒に逃げ惑ったと言う。
そのころ祖父は、工場の瓦礫の中に転がっていた。コンクリ囲まれた場所にいたので、上から降ってきた屋根の下敷きになったそうだ。
周りの救助も合って、やっと這い出た時には、真っ赤な地獄のような光景が目の前に広がっていた。
迫り来る炎と、まだ埋まっている同僚達。動ける者達だけで、火が工場を焼き始めるまで、助けて回ったが、大量の同僚が焼けて死んでいった。
その日、祖父母は会うことが出来なかった。逢えたのは次の次の日であった。 結局、自宅も燃えてしまい、焼け出された祖母は、祖父を探してさ迷っていたらしい。
祖父の名前を呼びながら、思いつくままにさ迷い、助けを求める人も振り払って、祖父を求めていた。
辺りは死人と妖怪の様な人々。そんな地獄の中を、祖父の名を呼びながら、唯、呆然と歩いていた。
反対に祖父は、同僚を助けられなかった悔いからか、人を助けていたらしい。
しかし、助けても助けても、崩れ落ちていく様に死んでいく人々。道端で死んでいる人々を見ても、
(歩くのにしたいが邪魔だ)
としか感じられなかったと教えてくれた。多分、その時はもう狂っていたのだろうと。
落ち合った2人は、祖父の会社近くの病院を手伝っていたが、祖父は髪の毛が抜け始め、口の中は、いつでも血の味がしていたと言う。
とうとう、祖父が体を痙攣させながら倒れた。パニックに陥る祖母を押さえ、診察した医師は、
「栄養のあるものを食べる事が出来れば、助かる見込みも大きいのだ」
と聞き、祖父を連れて、二人の実家のある、郊外の集落へと戻っていった。 祖父の変わり果てた姿に、恐れ戦く家族達。
その頃には、ピカが危険なものであると、話も伝わり始めていた。
「うつるのではないか?」
そう考えた家族は、2人の住居をこうえと定め、母屋には入らない様に申し付けたと言う。
終戦。一年余りの月日は流れ、農家の豊富な食料の御蔭で徐々に体力を取り戻した祖父に、家族は家から出て行く様に言った。
その頃には、悪い噂はすっかりと広まり、特に農村部では、家族に被爆者がいると、結婚できないとまで言われていた。
村の人たちに別れを言いたいと言った祖父母に、家族は
「村人達には、お前達は、宏まで焼け死んだと言ってある」
と言ったと言う。
逃げる様に故郷を追われる2人。その2人に、家族は出来うる限りの食料とお金、薬として卵を数個渡したと言う。 幸い祖父は仕事には困らず(某大手機械メーカー所属)各地の工場に転勤をしながら、関東へ。
生まれた長女は死産であったが、次女三女は健康に育っていった。幸せな、夢のような日々が流れていく。
幸運な事に、祖父母は健康なままであった。
そうして、二人の娘も就職し、二人きりの生活にも慣れた、ある日。次女からの手紙が届く。
「結婚を考えている、会ってくれないか」
祖父母は悩んだ。転勤の度に、本籍地を移動させていたからである。
当時、本籍地を変えるのは差別部落出身の人間であると思われていた。
部落出身者が、結婚。しかも相手は元地主の家柄。田舎の人間は、特に差別が激しいと聞いていた。
かといって、被爆者であると言う事は、部落出身者であるよりも差別を受ける可能性があった。
被爆者の娘である。その事だけでも、破談になるには十分な理由となった時代であった。
結局、次女を交えて話し合った結果、相手側に正直に話すしかないだろう、という事になった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています