スピ散歩で作者は水晶の山と交信してた。
最初は自然霊だったのが長い年月を経て人間の祈りなりでなんらかの目に見えない大きな存在として
出来上がってそれを神様と崇めているだけなのかもしれない。
それを心のよすがにしている人を否定するつもりはありません。
ただ神社界隈が長いこと客寄せに培ってきた神秘性は徐々に学問研究によって剥がされていきそうな予感。
それは裏返せば日本人にとって正確なルーツを確かめられることでもあるから根が安定して
とてもいいことのように私は思う。
従来の利権にしがみついていた日本のエリートさんたちにとっては不都合でしょうけど。

青銅器の技術は西ユーラシアにあって、でも材料の錫はモンゴルにしかなかったから
そこから東西の交流が始まったとのこと。銅と錫。
錫は、修験道の錫杖。ここ最近のキーワードはなんなんでしょうね。